【核戦争手前だった】キューバ危機についてわかりやすく解説します

【核戦争手前だった】キューバ危機についてわかりやすく解説します

 

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僕「人生で一番怖かったニュースってなに?」

祖父「キューバ危機のときかな…」

僕「キューバ危機ってそんなにやばかったんだ」

祖父「本気で核戦争になると思ったよ」

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これは僕がまだ20歳そこそこの時に祖父とした実際の会話です。

キューバ危機とは1962年10月16日から28日までの13日間に渡って、核戦争ギリギリにまで緊張が走った出来事を指します。

 

当時祖父はまだ40代だったので、このときの恐怖は鮮明に覚えているとも言っていました。

もし、アメリカとソ連がキューバをきっかけに核戦争をすればそれこそ世界中が戦争に巻き込まれることになっていました。

 

もちろんアメリカと同盟を組んでいて、米軍基地がある日本も攻撃対象になっていたでしょう。

日本が核攻撃されていれば今この記事を読んでいる方や、僕を含む若い世代はこの世に生まれてすらもいなかったかもしれません。

 

そんなことを考えると怖くもなりますが、本記事では「人類史上最大の危機であるキューバ危機」についてわかりやすく解説していきます。

 

東西冷戦とは

 

アメリカ=資本主義圏

ソ連=共産主義圏

 

資本主義

「政府は介入せずに競争市場を活性化させ自由経済を目指す」

 

共産主義

「国家が経済に介入して自由経済よりもむしろ平等を目指す」

 

このような政治の方針の違いから、

 

アメリカ+西側諸国

VS

ソ連+東側諸国

 

このような構図で第二次世界大戦後すぐに対立し始めます。

 

1959年の世界地図

・青&水色=西側諸国&アメリカ同盟国

・赤&ピンク=東側諸国&ソ連同盟国

・緑=植民地

・灰色=非同盟諸国

出典

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%88%A6#/media/File:Cold_War_Map_1959.svg

 

さらにそれは従来の軍事力にとどまらず、「核開発」や「宇宙開発」にまで手を出し始めます。

お互いに世界一の大国であることを世界にアピールするという狙いがあったからです。

 

アメリカとソ連(現在はロシアですが)に核兵器が大量に作られたのはこのときです。

両国が最も多くの核兵器を保有していたのは1980年代中期で、この時アメリカには2万3千発、ソ連には4万発以上もの核兵器が保管されていたと言われています。

 

「なぜそんなに核兵器を作る必要があるの??」

 

これはどちらか一方が核攻撃をした時にその報復として「打ち返せるだけの核兵器」が必要と考えたからです。

相手が1発持っていればこちらは2発、相手が2発ならこちらは3発、このように数で勝っていれば相手が報復を恐れて「攻撃してこないだろう」という考え方です。

 

つまり、核兵器は「抑止力」として戦略的だけでなく外交的にも役立つからです。

このようなことから互いに牽制しあいながら核兵器の数だけが増えていきました。

 

代理戦争

 

お互いが核を大量に持ち始めると、第二次世界大戦のような大国同士での戦争ができなくなりました。

核戦争になれば両国ともに計り知れないほどの被害が出るからですね。

 

こうしてなにが起こったのかと言うと、アメリカとソ連の間で「代理戦争」というものが世界の各地で起こり始めました。

 

 

冷戦中の主な戦争

朝鮮戦争

ベトナム戦争

アフガン戦争

タイの共産主義勢力の鎮圧

グレナダ侵攻

リビア爆撃

 

 

これらの戦争はすべてアメリカとソ連による代理戦争です。

つまり、アメリカとソ連が直接戦争をしない代わりに、アメリカと同じ政治理念を持ったものと、ソ連と同じ政治理念を持ったものが国内で内戦をします。

 

例えば、ベトナム戦争では南がアメリカ、北をソ連が支援しました。

つまり東西冷戦とはこれら全ての出来事を指します。

 

 

キューバ危機とは

 

キューバ危機は1962年の出来事なので、この東西冷戦の一部ということになります。

しかし、上でも書いているように第二次世界大戦の終わりである1945年からベルリンの壁が崩壊した1989年の間の約40年の東西冷戦の中で最も緊張がはしった出来事がキューバ危機です。

 

キューバ革命

 

「キューバ危機ってなんなの?」

「そもそもなんで起こったの?」

 

このような疑問を解決するにはまず当時のキューバの情勢、キューバ革命について知らなければなりません。

「フィデル・カストロ」と「チェ・ゲバラ」という人物は映画にもなっているので有名ですが、この二人によりキューバ革命が起きました。

 

それまでのキューバは親米&独裁政権でした。

「親米」と言っても実質的にはアメリカの植民地のようなもので、サトウキビなど大部分の土地はアメリカ人や大地主により所有されていたのが現実でした。

 

このことからキューバ国内では不満が溜まっていました。

1959年に革命を成功させ、これ以来アメリカから完全なる独立を目指し土地改革やアメリカ企業の国有化などを始めます。

 

新政権発足後のキューバは当初アメリカとは「一定の友好関係を保つ」としていましたが、次第にアメリカとキューバの関係は悪くなり、最終的に国交を断絶することになります。

 

キューバとソ連

 

革命後のキューバは社会主義政権です。

現在でも世界で数少ない社会主義国家ですが、このときから社会主義&共産主義の親玉であるソ連とキューバは接近していきます。

 

アメリカとキューバ

 

言うまでもなく、キューバは反米主義の路線を取ります。

どうしてもキューバを親米路線につかせておきたいアメリカ政府は革命によりキューバから亡命した1,500人程度の反政府組織を構成して「解放軍」と名付けました。

 

ここから「カストロ政権転覆作戦」というのが秘密裏に進められていきます。

当時の大統領であるジョン・F・ケネディ大統領は「西半球の共産主義者とは交渉の余地がない」とまで言い、キューバに対して経済封鎖を行います。

 

これらのゴタゴタの中でアメリカ・CIAから「ソ連がキューバにおいてミサイル基地を建設している」という情報が入ってきます。

つまりこれが「キューバ危機」の始まりです。

 

緊迫した13日間

 

世界地図を見てみるとわかりますが、キューバはカリブ海の島国です。

つまり北米に位置し、アメリカとは目と鼻の先にあります。

 

アメリカ本土に届く距離にある敵国にミサイル基地を作られたら最悪の事態を招きかねません。

それだけでなく外交的にも非常に不利な展開になるので、アメリカとしては全力をかけてこれを阻止しなければなりませんでした。

 

そこでケネディ大統領はとっさの判断を下します。

 

アメリカはキューバの海域を全面封鎖しました。

このときのケネディ大統領のこの判断が少しでも間違っていれば核戦争になりかねませんでした。

 

というのも、もしここでキューバに侵攻、または空爆していれば、この時すでにキューバ国内にミサイル基地があったら報復の可能性も十分ありえました。

逆に何もしなければ、ミサイル基地ができることになりアメリカの外交にとって大ダメージです。

 

ケネディ大統領がすごい理由

 

ケネディ大統領は間違いなくアメリカにおいての偉人です。

当時彼はまだ45歳という若さでした。

 

それにも関わらず、アメリカ議会においての強硬派を説得させます。

さらにこの時アメリカも実はトルコにミサイル基地を保有していました。

 

トルコと言えばヨーロッパなので、ソ連本土に届く距離でした。

 

「トルコにある米軍のミサイル基地を撤去する代わりにキューバのミサイル基地も撤去して」

 

このような条件で、見事に平和的に対話でこの問題を解決させました。

このときの大統領がケネディではなかったらと思うとゾッとしますね。

 

 

 

ということで、本記事ではキューバ危機について説明してきましたが、これが以下に人類にとっての最大の危機だったかがわかるかと思います。

結果論かもしれませんが、少しでも判断が遅れていたり、間違った手段を取っていれば核戦争になっていたことも十分ありえます。

 

だからこそケネディ大統領はアメリカの歴史の中でも最も偉大な人物の一人として評価されています。

 

 

 

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