当ブログ「ミナトのすゝめ」でも度々書いていますが、アメリカは世界最大の移民国家です。
現在においても世界中から移民が来て、アメリカに様々な影響を与えています。
日本人も例外ではありません。
本記事では「アメリカに渡った日系人」にスポットを当てながら、日系アメリカ人の歴史と彼らがアメリカ社会に与えた影響を見ていきます。
日系アメリカ人の歴史
前述したように、現在アメリカには約120万人の日系アメリカ人がいると言われています。
全体の0.4%占め、アジア系移民の中では中国・インド・フィリピン・ベトナム・韓国についで6番目に多い人種とされています。
米国に渡った第一人者
「アメリカに一番最初に渡った日本人」として有名なのは「ジョン万次郎」です。(それ以前にもいましたが)
と言っても、ジョン万次郎は高知県の沖合で漁をしている最中に遭難し、アメリカの捕鯨船に救難され結果的にアメリカに行くことになります。
その後、ハワイ⇛マサチューセッツに留学することを決め、英語&航海術を米国で学びます。
現在ではアメリカ文化を知った日本人の第一人者として知られていますが、その時に「初めて世界地図を見て驚いた」とあるように世界に飛び出した日本人の先駆者でもあります。
日本に帰国後は当時黒船来航で荒れていた日本及び、幕府に「英語の通訳」・「アメリカ文化を知る者」として重宝されました。
明治維新と榎本武揚
日本人がアメリカに渡り始めたのは「明治維新」の後、19世紀末になります。
最初は多くの人がハワイに渡りサトウキビやパイナップル畑の労働者として入植しました。
戊辰戦争末期(明治政府VS幕府軍の内戦)に「蝦夷地共和国」の総裁として函館で戦った「榎本武揚」ですが、彼がメキシコへの移民を提唱しました。(函館戦争は新選組副長・土方歳三の「最後の地」としても有名です)
この榎本武揚の移民をキッカケに多くの日本人がアメリカ大陸に渡ることになります。
特にハワイとカリフォルニアには多くの日本人が渡りました。
現在でもアメリカ西海岸(カリフォルニア)に日系アメリカ人が多いのはこの時からです。
日系人と人種差別
アメリカに渡ったジョン万次郎ですが、彼もアメリカで人種差別を体験したと言われています。
現在でもアメリカには人種差別が存在します。
「なんでアメリカには人種差別がなくならないの?」
このような疑問をお持ちの方、本記事では長くなってしまうのでこちらの記事をおすすめします⇓
第一次世界大戦時の日系人
上の「KKK」の記事でも書いていますが、「ルシタニア号事件」をキッカケにアメリカが第一次世界大戦に参戦すると、アメリカ国内では「ナショナリズム」が台頭し始めます。
それと同時に「スパイを追い出せ」という声が上がり、白人至上主義・排外主義が高まりました。
日本とアメリカは第一次世界大戦では「同盟国」でしたが関係ありません。
カリフォルニア州では白人による日系アメリカ人の排斥運動が起こりました。
第二次世界大戦時の日系人
1941年「真珠湾攻撃」をキッカケにアメリカと日本が戦争をし始めると、本格的に「日系アメリカ人に対しての差別」が激化してきます。
当時のアメリカ合衆国大統領であるフランクリン・ルーズベルト大統領は「日系人のアメリカに対する忠誠心」を疑い、「この地域からすべての日系人を排除することが軍事上必要である」とまで言いました。
その後、日本人の地を引く全ての住民(二世も含む)は強制的に退去させられ、住居や事務所の家宅捜査・財産没収・夜間外出禁止令・旅行禁止・銀行口座凍結などが行われました。
日系人の忠誠心を誓わせるために「忠誠登録制度」をはじめ、「アメリカ軍への入隊制度」というものもあり、多くの日系人がアメリカ軍に入隊しました。
「日本の天皇への忠誠を破棄するか」という問いに対して「NO」と答えた場合には強制収容所行きとなりました。
戦後1988年に当時のレーガン大統領が「戦時中の日系アメリカ人に対する不正な拘留」を認め被害者全員に2万ドルの賠償金と正式に謝罪もしました。
これは歴史上アメリカが公式な謝罪をした数少ない例です。
この一連の出来事は英語で「The Internment of Japanese Citizens(日系人強制収容所)」と言われています。
日系アメリカ人が与えた影響
ここまで日系アメリカ人の歴史を見てきましたが、冒頭でも書いたように日系アメリカ人の方々がアメリカ社会に与えた影響は計り知れません。
第二次世界大戦後全てを失った日系アメリカ人の方々はアメリカ社会で這い上がりました。
これは現在のアメリカにおいての日系アメリカ人及び、日本人に対するイメージに大きな影響を与えました。
モデルマイノリティー
こちらの記事にもあるようにアメリカにはアジア人に対するステレオタイプがあります。
「アジア人は頭が良い」
アメリカのアジア人は、このように「モデルマイノリティー」として認識されることが度々あります。
もちろんこれはステレオタイプなのであまり良くはないのですが、このイメージの要因となったのが1960年代の日系アメリカ人の活躍にさかのぼります。
まず1959年に「ダニエルK. イノウエ」という人物がハワイ議会で大きな躍進をしたことに始まり、1963年に「スパーク マツナガ氏」が下院議員に選ばれ、1965年には「パッツィ ミンク氏」がアジア人女性で初めて米国議会に選ばれます。
この時の3人の活躍がアメリカ社会においてのアジア人に対する受容度を一気に高めました。
近年有名な日系アメリカ人と言えば、NASAのエリソン・ジョージ・オニヅカさんや、宇多田ヒカルさんなどですが、上記でご紹介した日系アメリカ人の社会進出から始まり、政治家やスポーツ選手、アーティストなど多くの日系アメリカ人・アジア系アメリカ人がアメリカで活躍し始めました。
文化的影響
毎年4月になるとアメリカの首都・ワシントンDCでは日本から贈られた桜を見に多くの観光客が訪れます。
「Sakura Matsuri」と呼ばれるイベントが毎年開催されるのですが、多くの日系アメリカ人の方がそこで日本文化の紹介をします。
また、アメリカの学校では空手のクラスがあり、多くの子どもたちが学校で空手を習います。
さらにカリフォルニア・ロサンゼルスの中心には「リトルトーキョー」という日本人街があり、多くの観光客に愛されています。
その他にも、数え切れないほどの日本食料理や日本のポップカルチャーなど、多大な影響をアメリカに与えていると言えます。
これらの多くはアメリカに住む日系アメリカ人の方々の功績でもあります。
第二次世界大戦など複雑な国際状況のなかで努力して得たものはその後のアジア人・日本人へのイメージや、現在のアメリカ国内の日本文化の人気にものすごい影響を与えたと言えます。
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