筆者は日本史がわりと大好きです。
日本は様々な問題を抱えながらも、現在でも世界有数の「経済大国」として知られていますね。
「日本はいつから経済的に他の国よりも発展したの?」ということですが、これは「明治維新」と「戦後の復興」にあると筆者は考えています。
この日本の命運を変えた歴史の一つでもある「明治維新」ですが、その中でも大きく変わったのが「日本語」でした。
「文明開化」を掲げて様々な改革を行っていた当時、「日本語の改革」というのが日本の発展に大きな影響を与えました。
それが現在にも繋がるのですが、本記事ではこのへんの歴史に関して詳しく解説していきます。
明治維新の日本
明治維新の始まりは江戸の終わりでもあります。
つまり幕末(江戸幕府末期)の時代ですね。
欧米列強の驚異
1840年清とイギリスの間で「アヘン戦争」というものが起きます。
この戦争により、現在の中国である清はイギリスに「圧倒的な力の差」で敗れてしまいます。
どれだけ圧倒的だったのかというと、清は2万人近くの戦死者を出した一方で、イギリス軍の戦死者はたったの69人でした。
言葉は悪いですが、まさに「ボコボコ」にされ、西洋とアジアの力の差を見せつけられることになります。
これを見ていた日本、当時の江戸幕府はこの時初めて欧米列強の驚異を目の当たりにしました。
「このままだと日本もヤバイ」
そう思っていた矢先、その驚異が現実的なものになる事件がペリーの「黒船来航」です。
1853年アメリカの艦船4隻が日本に上陸し、当時鎖国政策をとっていた江戸幕府に開国を迫ります。
「我が国(アメリカ)と貿易を始めろ」
まさに上から目線ですね。
そして日本は開国を決意し、アメリカを含む欧米諸国と「不平等条約」を結ぶこととなってしまいます。
不平等条約
1.横浜、長崎、新潟、神戸を開港し、自由貿易を行うこと
2.日本国内で外国人が犯罪を犯しても日本の法律では裁けない
3.日本政府は関税を自由にかけられない(関税自主権の放棄)
これらがこの時に結ばされた「日米修好通商条約」いわゆる「不平等条約」というものです。
1と2はまだしも、3に関しては日本の経済に大ダメージを負わせるものでした。
というのも、産業革命で大量生産・大量消費が可能となった欧米からの輸入品は圧倒的に安いものが多く、それらの製品に日本政府が関税をかけられなければ「国内で国産品が全く売れなくなってしまう」⇨「経済が落ち込む」という自体に陥ってしまいますね。
「なんでこんな条約を受け入れたの?」
こんな疑問ですが、これは「欧米と争いごとにはなりたくなかったから」という理由です。
さらに言えば、当時の日本では欧米のような「先進的な」法律、憲法、警察、など存在しなかったので、欧米からは完全になめられていました。
この条約に調印したのは「井伊直弼」で、こんなこともあり、あの有名な「桜田門外」で最終的に暗殺されてしまいます。
江戸幕府の終焉
ここから日本の歴史は大きく動き出します。
日本国内で「開国派」と「尊皇攘夷派(そんのうじょういは)」の2つで別れます。
開国派⇨江戸幕府を維持しつつ、欧米とも貿易をしていこう
尊皇攘夷派⇨天皇を国のトップとして、外国人は全員打ち払え
黒船来航⇨不平等条約⇨桜田門外の変
ここから日本はカオスになっていきます。
京都ではまさに毎日のように「尊皇攘夷派VS開国派」の構造で暗殺、紛争が起き、「新選組」などの治安維持部隊も結成されることとなります。
最終的に「坂本龍馬」の薩長同盟で有名ですが、薩摩(鹿児島県)と長州(山口県)が手を組んで倒幕に乗り出します。
1867年に15代将軍の「徳川慶喜」が「大政奉還」を決意し、形式的に天皇陛下(明治天皇)に政権が返上されます。
翌年1868年に幕府軍と明治政府軍との間で戦争(戊辰戦争)が起こり、1871年に江戸幕府は完全なる終焉を迎えました。
文明開化
江戸幕府を倒し、政権を握った新政府(明治政府)は急速に国の発展をしていかなければなりませんでした。
ただでさえ戊辰戦争という内戦により日本全体が弱っていました。
そんな時に欧米が来て、清の「アヘン戦争」のようになったらどうしようもありませんね。
そこで考えたのが、「まずは欧米の文明を取り入れよう」と決意します。
坂本龍馬もそうでしたが、当時の日本の著名人や政治家は欧米に関して徹底的に研究をし始めます。
「アメリカは投票で国のトップを決めるらしい」
「欧米には国のトップを裁く法があるらしい」
このような「概念」が日本にやってきました。
日本の発展⇨和製漢語
日本語の大部分を占める「漢字」というものはもともとは中国から来たものでした。
こちらの記事で「漢字はどれだけ偉大なのか」ということに関して詳しく解説しているのですが、漢字は中国から現在のベトナム、朝鮮半島まで行き、海を渡って日本に来ました。
はるか昔の時代は画期的だった「漢字」というものでしたが、時代とともに新しい言葉が必要になっていきます。
それがまさに明治維新のときでした。
憲法 (Constitution)
民衆 (People)
社会 (Society)
宗教 (Religion)
政治 (Politics)
文化 (Culture)
これらの言葉、現在では当たり前のように使用する単語ですが、これらはすべて欧米の文明(英語)から来た全く新しい概念のものでした。
例えば、現代で言えば「プログラミング」や「コンピューター」のような単語がそうかもしれませんね。
今ではこのように英語の単語をそのまま「カタカナ」で表現することが多いですが、当時は英語のものをすべて漢字に翻訳しました。
Politics = 政ごとを治める = 政治
こんな具合に一つ一つ新しい概念を漢字に翻訳していきました。
というのも、日本人の感性に馴染みのある漢字の方がいち早く理解ができるからですね。
つまりこれが日本の文明開化を成功させた要因の一つでもあります。
逆輸入
こうして日本で作られた新しい漢字は朝鮮半島に行き、最終的に漢字の大元でもある中国まで逆輸入されました。
「中華人民共和国」という中国の正式名称にある「人民」と「共和国」という単語は日本で作られた単語です。
つまりそれだけ「和製漢語」というのは、中国でも一般的でもあります。
そして現在
この時に日本人の先人たちが作った新しい言葉が「現代に生きる私たちにどれだけ影響を与えているの?」ということですが、かなりの影響を与えています。
こちらの記事に詳しく書いていますが、「日本人が英語を話せない理由」の一つに日本語の単語数が十分にありすぎるという理由を挙げています。
例えば、フィリピンでは高校などの授業になると英語を使います。
フィリピンの国語でもある「タガログ語」には十分な学術用語が無いからですね。
高校レベルの化学や社会の授業なら英語でやらないと成り立たないということがあります。
なので、大学の図書館に行ってもタガログ語に翻訳されている本よりも英語の書籍や論文の方が多いのが現実です。
タガログ語に学術用語を説明できる十分な単語がないからです。
日本ではそんなことはありませんね。
大学に行けば日本語で書かれた論文があり、英語のものも翻訳されているものがほとんどです。
皮肉なことに、これが日本人に「英語が必要ない理由」でもありますが、明治維新当時に漢字で作った学術用語は今に至ってもものすごい役割を担っていると言えますね。
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