日本では義務教育でほとんどの方が「道徳の授業」を受けると思いますが、道徳の科目は日本以外の多くの国々でも同じように行われています。
英語では「Character Education」と言ったり、「Moral Education」とも言います。
道徳(モラル)という言葉はラテン語の「Moral」から来ています。
では海外の道徳教育はどんなものなのかというと基本的に「宗教教育」を前提としています。
例えば、中東などのイスラム教圏ではコーラン(教典)が教材となっていたり、イギリスでは礼拝などを含む宗教教育が義務化されています。
そういった意味で宗教とモラルというのは非常に密接に関わっているとも言えますが、日本では学校において宗教・宗派教育は憲法により禁止されています。
これはアメリカでも同様です。
本記事では日本とアメリカの道徳教育を歴史から見ていき、その違いに関して詳しく解説していきます。
日本の道徳教育の歴史
2019年5月に起きた大津市の園児の列に車が突っ込んだ事件はまだ記憶にも新しいかと思います。
その際に開かれた記者会見において、記者があまりにも無神経な質問を幼稚園の園長さんに何度もしていました。
この時にこの記者やジャーナリズムにおけるモラルのあり方に疑問を抱いた方も多かったかと思います。
話がかなりそれていますが、近年「日本人のモラルが低下している」という声もあります。
文部科学省の方針により、2018年から日本の道徳が「特別の教科」として扱われるようになりました。
しかし、日本の歴史を見てみると、「道徳の授業」は何度も形を変えて存在し続けています。
ではここから日本の道徳の歴史について見ていきましょう。
戦前
日本で道徳教育が始まったのは明治維新の直後です。
当初は「修身」という名前でした。
「一身独立して一国独立す」
これは当時福沢諭吉が唱えた思想で、欧米のような「独立した個人を育てよう」という考え方が日本にも入ってきた頃でした。
しかし、明治維新から間もなかった当時の日本・明治政府は国をまとめるためには「独立した個人」よりも、全体主義的な思想を教育に取り入れました。
このような歴史的背景もあり、1880年代から修身が全国で教えられるようになります。
と言っても当時の道徳教育(修身)の授業では、「友達は助けようね」とか「怠けるな」、「清潔にしましょう」というような当たり前のことを教えていました。
それから日清・日露戦争を経て、それこそ「国を守る」や「忠義」という思想に重きがおかれるようになり、日中戦争や第二次世界大戦の頃になると君が代なども徹底的に教えるようになっていきました。
戦後
ポツダム宣言を受け日本はアメリカに占領されることとなったわけですが、占領中アメリカが真っ先にやったことは修身の廃止でした。
日本の保守派の中には、「日本の犯罪率が上がったのは修身の授業がなくなったからだ」と主張する人もいたくらいです。
しかし、その後1958年岸田内閣の時に「道徳の授業」がこの時初めて実施されることとなりました。
これが現代における道徳授業の始まりです。
そして上でも書いたように2018年の4月から道徳の授業が「特別の科目」として教えられるようになりました。
アメリカの道徳教育
アメリカの教育制度を見るにはイギリスの植民地時代にまでさかのぼる必要があります。
アメリカがまだ植民地だった時代は「Common School」というのが各地にでき始めます。
この「Common School」というのは「公立学校」のようなもので、教育を受ける権利という意味では世界のさきがけでした。
そこで「Character Education(道徳教育)」が始まっていったわけですが、当時は宗教教育でした。
つまり、キリスト教の教えを基準に「人は社会の中でどうあるべきか」というのを教えました。
アメリカは他人種・他宗教の国ではありますが、現在でもキリスト教の影響が強く、なんだかんだ言っても「アメリカ=キリスト教国家」ということが言えます。
例えば、大統領就任の際には「神への宣誓」を行いますし、結婚式も教会でやるのが一般的です。
これは道徳の面で言っても同じで、一般家庭では子供に道徳を教えるために日曜日になると家族で教会に行くことも珍しくありません。
実際に筆者のアメリカ人の友人は両親含めキリスト教徒ではないですが、「小学生の頃はよく教会に連れて行ってもらった」と言っていました。
つまりアメリカにおいてキリスト教は宗教やお祈りをするためだけでなく、道徳教育の一環として教えられてもいます。
しかし、現在アメリカでは学校教育で宗教・宗派を教育するのは禁止されています。
ではどのように道徳を教えているのかと言うと、今でもキリスト教精神が強く残っています。
例えば、日本では「お年寄りを敬う」など、「儒教の教え」が少なからず影響しているのと同じで、アメリカではキリスト教の教えがかなり影響しています。
例えば、道徳の授業の一環でホームレスのシェルターに行き、半日お手伝いをしたり、お話を聞いたりもします。
つまり、「人助け」の色合いが強いのがアメリカの道徳教育の特徴です。
一般的な授業で言えば、目の前で物を落とした人がいれば真っ先に拾ってあげて、助けてもらった人はハグをして感謝をします。
「Action Speak Louder Than Words」(行動は言葉よりも重要だ)
英語にはこんなことわざがありますが、道徳の授業ではこの概念を徹底して教えます。
もちろん学校や先生によっても違うと思いますが、アメリカの道徳教育では「自分から助けに行こう」という能動的な教育が特徴的です。
このような道徳の授業の違いはアメリカと日本の文化の違いにも大きな影響を与えていると言えますね。
例えば、地震や災害が起きたときには助け合ったり協力し合う行動が日本の特徴や道徳の規範でもありますが、アメリカでは「困っている人があれば真っ先に助けてあげる」というのが行動規範なのかもしれませんね。
日本の道徳教育の問題点
しかし冒頭でも書いたように、「日本人の道徳が低下している」と言われることも残念ながら珍しくありません。
ハロウィンになれば大量のゴミが捨てられていて、数十年も前から問題になっている電車の痴漢も未だに社会問題です。
以前アメリカの性教育についての記事も書かせていただきましたが、アメリカでは道徳教育と同じく性教育も徹底して教育しています。
性教育と道徳教育はかなり類似している点があるかもしれません。
日本においての痴漢の問題を解決するには性教育や道徳の教育を根本から見直す必要もあるのかなと思います。
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