元来「武士道」という言葉は江戸時代に作られたもので、当時の支配階級である武士に対して模範・道徳を徹底責任を取るべきだということから始まります。
つまり、武士道という思想は日本文化の象徴でもあり、現在でも色濃く残っている日本人の考え方の基となるものでもあります。
一方「騎士道」とはヨーロッパにおいて広く浸透していた「騎士階級」の行動規範のことを言います。
本記事ではこの2つの思想的違いから、日本と西洋の文化の違いを徹底比較しながら解説しています。
「武士道と騎士道って具体的になにが違うの?」
このような疑問にお答えします。
武士道とは?
上でも書いていますが、「武士道」という言葉は江戸時代に作られて、主に使われるようになったのは明治になってからなので、比較的新しい言葉でもあります。
現在では世界でも「サムライ文化」の一環として広く知られていて、英語でも「Bushido」という単語で表されます。
「武士道」の概念、思想を一番最初に世界に広めたのは、明治期に新渡戸稲造氏が書いた「武士道」という著書です。
原文は英語なので、「欧米に日本文化を紹介した著書」として最も有名な本の一つです。
これはアメリカでもベストセラーとして知られていて、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトやジョン・F・ケネディも「日本文化を研究する」という趣旨で読んでいたと言われています。
筆者も原文で読んだことがありますが、非常にわかりやすい英語で日本と西洋文化の違いが書かれています。
本記事では新渡戸稲造氏の「武士道」の内容に少し付け加えたものを主に紹介しています。
武士道と騎士道の違い
前述しているように、「武士道」は武士(サムライ)の規範や道徳を徹底させるためというのが始まりです。
一方で、騎士道とは西洋の騎士の間で主に広まった行動規範を指します。
西洋文学ではこの「騎士道」を扱った作品が多数存在します。
特に「ロマンス」の要素を多く含んだものもあるので、西洋文学を知ることで、日本の武士道文化との違いを知ることもできます。
ということで、ここからは武士道と騎士道の違いを具体的に見ていきましょう。
①自殺について
武士道において最も広く知られているのは「切腹」ではないでしょうか。
実際に「Harakiri」という単語が英語にも存在するように、多くの西洋人の方は「武士道=切腹」のイメージを持っていることが多いです。
これは裏返してみると、騎士道では自殺することを名誉とはしていません。
「自殺して死ぬんだったら戦って死ぬ」
騎士道では名誉や意地よりも倫理的に正しいことを選びます。
これはキリスト教が「自殺を禁じている」という理由が大きいです。
現在でもこれは同じで、キリスト教では自殺することを「最大の悪」としています。
②年功序列とレディーファースト
武士道⇨年功序列
騎士道⇨レディーファースト
日本は他のアジアの国と同じように、儒教の文化が広く浸透しているため「お年寄り」が最も尊重される立場になります。
祖父母⇨父⇨息子⇨母⇨娘
家族のヒエラルキーで言えばこのような図になります。
年配者が最上位で、女性は最後にくるというのが儒教の考え方でもあります。
一方でヨーロッパやアメリカに行くとよくわかりますが、欧米では「レディーファースト」が徹底されています。
これは騎士道の考え方からきています。
これには様々な説があります。
戦争中に女性が騎士の盾にされたり、安全確認のために部屋に先に入れたり、毒味のために先に食事を取らせたり、このようなことからレディーファーストが広まったという説と、「女性は最も大事にされるべきだ」という考え方だったり、たくさんの説が存在します。
つまり、武士道では「年功序列」、騎士道では「レディーファースト」の考え方が大事にされたというのがここでの大きな違いです。
③君主に対しての忠誠心
武士道⇨君主への忠誠
騎士道⇨神への忠誠
武士道において、君主への忠誠心は絶対的な価値があります。
戦国時代で最も有名な戦いの一つでもある「桶狭間の戦い」では、織田信長が桶狭間で今川軍を強襲し君主である今川義元を討ち取った時、2万人ほどいた今川軍は一斉に撤退しました。
これは福沢諭吉著の「学問のすすめ」でも批判されていますが、武士道ではあくまで「領主への忠誠」が絶対であるため、領主である今川義元が死んでしまえばそこで主従関係が終わることを表しています。
ちなみに豊臣秀吉が「本能寺の変」のあと山崎の戦いで明智光秀を倒し「織田信長のカタキを取った」とされていますが、これは君主への忠誠ではなく、あくまで秀吉自身が天下統一のチャンスを取りに行っただけに過ぎません。
一方で、騎士道では倫理的・道徳的に間違っていたり、君主が理不尽な振る舞いをしたら命令を拒否してもいいとされています。
また、キリスト教においての神の教えは絶対です。
神への教えに背くのであれば、君主であれども命令を拒否してもいいとされています。
戦国時代に明智光秀が織田信長を裏切り、本能寺の変で信長を討ち取ったのは有名ですが、明智光秀が裏切った理由の一つとして、信長による「比叡山焼き討ち」や仏教徒に対しての残忍な振る舞いから(熱心な仏教徒である)明智光秀は信長に対して襲撃を決行したという説があります。
騎士道の考え方では、宗教(仏教)に対して非道な行いをした信長こそが討たれるべきであって、明智光秀は正義です。
しかし武士道の教えが日本に広まり、「君主への忠誠」というのが徹底されていた江戸時代や明治期に明智光秀の評価はどんどん悪くなっていきました。
あくまで、明智光秀は歴史の中では「敗者」であるから悪名がついたというのも言えますが、この例からもわかるように武士道と騎士道では忠誠心の概念でも異なります。
④戦争に対しての考え方
武士道⇨名誉のために戦う
騎士道⇨正義のために戦う
「切腹」からわかるように武士道では自分の名誉こそが全てです。
武士道の中では、戦争は「戦う」というよりも「名誉を守る」ためのものです。
戦国時代にポルトガルから日本に来た宣教師ルイス・フロイスは日本の合戦を見た時に、「日本の兵士達は戦争中になにかを叫んでいる。こんなにうるさい戦いは西洋にはない」とコメントしています。
これは日本において武士は戦う前に自分の名前を教え合うのが礼儀であるからです。
つまり、「戦い」よりも「名誉」こそが大事というのが武士道です。
一方で騎士道では異教徒の殲滅、弱者の救済、悪への抵抗、このようなものが彼らを戦いに導くものです。
武士道は個人間での価値観ですが、騎士道は社会的、宗教的、団体の中での正義感が大事になります。
⑤宗教に対しての考え方
武士道⇨宗教は自由
騎士道⇨キリスト教こそが正義
ここまで見てきてわかるように騎士道には宗教の自由はありません。
キリスト教が絶対の正義です。
つまり騎士は宗教戦士です。
日本においても神仏を信じている武士が大半でしたが、キリスト教が日本に伝来し、織田信長が受け入れ、日本各地でキリスト教徒が増えたことからもわかるように宗教は基本的に自由です。
豊臣秀吉や徳川家康の時代になるとキリスト教が禁じられたり、弾圧されたりもしましたが、これはあくまで当時の世界情勢、西洋諸国が東南アジアなどキリスト教の布教を利用して植民地化していたことからきた危機感によるもので、騎士道においての「異教徒の殲滅」というのとは異なります。
⑥敵に対しての振る舞い
④でも書いていますが、武士道では名誉こそが最も大事なものだとされています。
「敵に塩を送る」
この言葉は武士道の精神から来ています。
戦国時代、最強のライバルと言われていた上杉謙信と武田信玄でしたが、当時武田信玄が遠江の今川、相模の北条から経済封鎖をされ塩不足に困窮していた時に上杉謙信は無償で塩を送ったとされています。
これも現在では色々な説がありますが、「最大の敵であるからこそ困っている時に助ける」というのは武士道ならではの考え方ではあります。
ここまで武士道と騎士道の違いについて細かく見てきましたが、現在でも引き継がれつつ、日本と西洋の文化の違いに大きく影響していることがわかります。
明治期に入り、大正、昭和と戦争の時代が続くにかけて武士道の考え方が多少「盛られた」こともありますが、基本的に武士道では「君主への忠誠」というのが最大の特徴です。
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