【世界恐慌とは】第二次世界大戦の原因をカンタンに解説します

【世界恐慌とは】第二次世界大戦の原因をカンタンに解説します

出典:The Great Depression

 

第二次世界大戦が起こった原因とは、一体なんだったのでしょうか。

日本では、日本が真珠湾に攻撃するに至った経緯や、太平洋戦争の始まりなどは結構語られていますが、第二次世界大戦に至った経緯はあまり話されませんね。

 

「世界恐慌とニューディール政策」というのは、「アメリカから起きた大不況」「フランクリン・ルーズベルト大統領による経済政策」のことです。

1930年代の話ですね。

 

アメリカの歴史の授業ではわりと「マスト的な存在」でもあります。

歴史だけでなく、経済学の観点からも、知ってるとどこかで役に立ったり、わりと普通に面白いので、本記事で取り上げていきたいと思います。

 

「世界恐慌ってどんなだったの?」

「第二次世界大戦ってどうやって始まったの?」

 

こんな疑問にお答えしていきます。

 

世界恐慌 (1930年代)

 

「1930年代」といえば、まさに日本では「戦前」の話ですね。

1939年にナチス・ドイツがヨーロッパでポーランドに侵攻し第二次世界大戦が始まり、1941年に日本がアメリカ・真珠湾を攻撃し太平洋戦争が始まったまさにその直前の話になります。

 

逆に1930年から、話を10年ほど前に戻すと、世界は第一次世界大戦が行われていました。 (1914〜1918年)

世界恐慌のお話は、この「第一次世界大戦の直後」から始まります。

 

第一次世界大戦では日本も参戦していましたが、第二次世界大戦とは違い、主戦場はヨーロッパでした。

なので、大戦で戦勝国側にいた日本は、ほぼ無傷、さらには「ドイツの領土」という戦賞品までもらえるという「ウハウハ状態」でもありました。

 

これはアメリカも同じでした。

アメリカに関して言えば、この第一次世界大戦をキッカケに「世界の警察」へと上り詰めます。

 

つまり世界の覇権をこのとき握るのです。

 

 

こちらの記事でも書いてありますが、このときから「アメリカの一人勝ち状態」が始まります。

主戦場になったヨーロッパでは、工業製品や農作物をアメリカに頼りきりになります。

 

これが第一次世界大戦後も続き、アメリカの産業は右肩上がりになりました。

まさにバブルですね。

 

「戦争で疲弊している国の株よりもアメリカの株でしょ」

 

こんなことから、みんなアメリカ企業の株を買い占めました。

当然といえば当然ですね。

 

しかし、こんなのも長くは続きません。

1920年代後半になると、ヨーロッパの経済もだいぶ回復していて、工業製品や農作物もどんどん売れなくなっていきました。

 

さらにアメリカ国内では、昔から貧富の格差がすごいので、低所得者は大量生産したものを買うことができない、最終的にモノが売れ残っていきます。

そこで、多くの人がそのとき持っていた株を一斉に売り出します。

 

これが1929年10月木曜日の出来事でした。

ウォール街のニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が起こり、のちにこの日は「Black Thursday (暗黒の木曜日)」と呼ばれます。

 

アメリカの大不況

 

今回のコロナウイルスによって、アメリカでは失業者が急増しています。

これをアメリカでは「1930年代以来の大不況」というように呼んでいますが、約100年前にも同じような大不況がありました。

 

この大恐慌を経て、街には失業者が溢れかえります。

アメリカの失業率は23%まで上がり、犯罪が一気に増えていきました。

 

ニューディール政策

 

そこで、「フランクリン・ルーズベルト」という人物が1933年、アメリカ合衆国大統領に就任します。

これがアメリカのその後の運命を決めた瞬間でもありました。

 

フランクリン・ルーズベルト大統領は、すぐにこの大不況を乗り越えるべく、「ニューディール政策」というのを始めていきます。

 

Relief(救済)

Reconstruction(復興)

Reform(改革)

 

この「3つのR」を掲げて、ルーズベルト大統領は尋常じゃない速度で改革を進めていきます。

というのも、選挙戦の頃から、「私が大統領になったときには1年以内に恐慌前の物価水準に戻しましょう」と断言していました。

 

「緊急銀行法」

「全国産業復興法」

「農業調整法」

「テネシー川流域開発公社」

 

実際に就任後たったの100日以内に、これらすべての対策を実行していきました。

具体的には、全米にあるすべての銀行を一時的に閉鎖、経営の内情を報告させ、危機的状況にある銀行を支援、通貨のコントロール、生産量の調整、労働者の最低賃金を保証し、さらには作りすぎて余ってしまった生産分(農業など)は政府が買い取っていきました。

 

そして最も大規模だったのは、30を超える数のダムの建設を中心とした、大規模な公共事業を立ち上げます。

これにより、大量の失業者に対して、仕事を与えました。

 

このやり方は第二次世界大戦後の日本でも同じように行われました。

焼け野原になった日本の街を「復興する」という名目で、政府が公共事業、つまり道路などのインフラ整備を行い、それにより大量にいた失業者を救いました。

 

話が戻りますが、このルーズベルト大統領以降、「ハネムーン期間 (就任後100日)」という言葉が政治に生まれました。

「新政権が始まった最初の100日間が一番大事だよ」という言葉ですが、それほどルーズベルト大統領のこの迅速な対応はアメリカ史、世界史でもまれを見ないものでした。

 

世界への影響と対策

 

アメリカはこんな感じで大恐慌を克服していきましたが、他国はどうだったのでしょうか。

この大恐慌はアメリカだけでなく、世界の国々へと影響を与え、一部では1930年代前半までに回復しましたが、ほとんどの国では第二次世界大戦までこの不況が続きました。

 

このとき、世界全体のGDPが「約15%減少した」とも言われています。

ちなみに2008年から2009年にかけて起こった「リーマンショック」では、1%未満の減少だったので、この15%がどれだけすごいのかわかりますね。

 

さて、この時の日本ですが、第一次世界大戦で戦勝国になったのは良いものの、その後の関東大震災 (1923年)、昭和金融恐慌 (1927年)などの影響で瀕死状態にあったところを、このアメリカの大恐慌が襲いました。

失業者が一時的に増えますが、幸い翌年には回復していきました。

 

そこで、最も深刻だったのがドイツでした。

第一次世界大戦の敗戦により、大量の賠償金を請求され、ハイパーインフレになっていましたが、それも回復していたところに、大恐慌によりドイツ経済はまたどん底に落ちてしまいました。

 

これにより、「労働者を救うべく」ナチス党のヒトラーが首相に任命されました。

これが第二次世界大戦の始まりでもありますね。

 

この6年後の1939年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻します。