【アメリカ版鎖国】モンロー主義をわかりやすく解説します

【アメリカ版鎖国】モンロー主義をわかりやすく解説します

 

こんにちは。本記事はミナトのすゝめ「アメリカ史」ということで、「モンロー主義」について解説していきます。

アメリカは建国時から「自由と平等」という相容れない矛盾を国家の信念として掲げていますが、「モンロー主義」も「アメリカの矛盾」の一つです。

 

「モンロー主義って聞いたことあるけど具体的になんなの?」

本記事ではこのような疑問にお答えしていきます。

 

モンロー主義とは

 

日本は江戸時代に「鎖国」ということで、貿易を含む他国との関係を一切遮断していましたが、「アメリカの鎖国主義」がモンロー主義と言ってもいいかもしれません。

1820年代にジェームス・モンローという大統領が「ヨーロッパの争いに巻き込まれたくないから、俺らは常に中立だし、とにかく関わらないよ!」と言ったことから始まります。

 

つまり「半鎖国状態(Isolation Policy)」ということですね。

 

モンロー主義

1.ヨーロッパの紛争に一切干渉しないよ

2.アメリカ大陸の植民地政策には一切干渉しないよ

3.でもこれ以上アメリカ大陸に植民地を増やすのは止めて

4.独立運動が起こった場合にヨーロッパの国が干渉するのであれば「平和への脅威」とみなして、アメリカが相手になるよ

 

ジェームス・モンロー大統領はこのように宣言しました。

「ヨーロッパの紛争には一切干渉しないけど、君たちがアメリカ大陸に来るのならば相手になるよ」という一見矛盾している言い分です。

 

とにかくヨーロッパとは関わりたくなかったということですね。

 

そもそもなんで?

 

今では考えにくいかもしれませんが、当時のアメリカはイギリスから独立してからたったの50年程度で、領土も現在の3分の1程度の小国にしか過ぎませんでした。

つまりこの時代のアメリカは必死です。

 

誤った政策を進めていくわけにはいきませんね。

そこでアメリカはヨーロッパ諸国を「脅威」とみなしていました。

 

明治維新の頃は日本も「欧米諸国に追いつけ・追い越せ」ということで「富国強兵」を進めていましたが、この頃のアメリカもまさに「ヨーロッパに追いつけ・追い越せ」でした。

そんな時にヨーロッパの争いごとや覇権争いに巻き込まれたくないですね。

 

特に当時のヨーロッパは「ナポレオン戦争」もあり、カオスの状態です。

19世紀初頭のことですね。

 

そしてナポレオン戦争によりスペインの中南米への影響力が弱まったことにより、アメリカ大陸の各国が独立運動に動き始めます。

実際に現在の中南米諸国のほとんどがこの時に独立を宣言しています。

 

アメリカの完全なる独立

 

当時のカナダはまだイギリス領、アラスカはロシア領、メキシコはスペインから独立してまだ数年、他の中南米の国々は独立戦争真っ最中でした。

ここでスペインが中南米の独立を阻止して制圧すれば、最悪の場合メキシコの独立も危うくなってきます。

 

そうなればアメリカ自身の存続も疑われてきますね。

経済的独立で言っても、南北アメリカの植民地はイギリスにとっての最大の貿易相手でした。

 

当時のイギリスは「産業革命」によって大量生産が可能になり、多くの工業製品をアメリカ大陸に輸出し、農産物や資源を輸入してまさに「ウハウハ状態」でした。

アメリカ大陸の経済圏をイギリスに独占させている構図もアメリカとしては面白くありません。

 

軍事的にも、経済的にもアメリカが完全に独立を維持するには「アメリカ大陸全体のヨーロッパからの自立」が必要でした。

そこで「ヨーロッパの争いには干渉しないけど、アメリカ大陸諸国の独立を阻むなら相手になるよ」ということを宣言したわけですね。

 

モンロー主義から大国へ

 

繰り返しますが、今では工業&農業大国でもあるアメリカですが、19世紀当時はアメリカの工業などイギリスなどの足元にも及ばなく、農業だけが頼みの綱でした。

その肝心な農業でさえもまだまだだったのですが、この状況が一変するのが1853年に起きたクリミア戦争と天候異変です。

 

天候異変によりヨーロッパの穀物の値段は高くなり、戦争によりロシアからの輸入も途絶えてしまったイギリスはアメリカを頼りにします。

アメリカはこの時から農産物を海外に輸出することになり、農業大国の基盤を造りました。

 

そしてその直後の1860年代の南北戦争後に工業革命を急速に進めていきます。

1870年代にはアメリカはGDPでイギリスを追い抜かし、世界一の経済力、生産力を維持していきます。

 

19世紀後半からはアメリカも「帝国主義」の仲間入りを果たし、1898年にはハワイ王国を併合します。

そしてここからモンロー主義の「ヨーロッパ諸国が植民地の独立運動を拒むなら相手になるよ」という項目が効いてきます。

 

1898年にキューバで独立運動が起きるのですが、これをスペインが徹底して阻止しようとします。

そこでアメリカはキューバVSスペインの独立運動に干渉し、スペインと戦争を始めます。

 

「アメリカ対スペイン」の構図は他の中米の国々にまで飛び火しますが、アメリカはここで中米におけるスペイン勢力の駆逐に成功します。

さらに1901年には当時スペイン領であったフィリピンを巡っても戦争をしますが、ここでも勝利し「フィリピン第一共和国」が建国されます。

 

今でもプエルトリコはアメリカの「自治領」、グアム&ハワイはアメリカの領土、フィリピンでは英語を話す、というのはまさにこの時代から始まります。

 

二つの世界大戦

 

1914年にオーストリア=ハンガリー帝国(現在のボスニア)で起きた「サラエボ事件」をきっかけにヨーロッパ全土で戦争が起きます。

アメリカは「モンロー主義」を掲げているため、当初は「日和見」を決めますが、物資&資源はヨーロッパに輸出していました。

 

しかしアメリカがイギリスに支援物資を輸送していた、ルシタニアという船がドイツの潜水艦に雷撃を受けてしまいます。

これを「ルシタニア号事件」と言いますが、ここからアメリカは連合国として欧州の大戦に参戦します。

 

日本も当時は「日英同盟」があったので、連合国側についていますね。

今では「第一次世界大戦」と言われていますが、当時は「第二次」が起きるとは誰も思っていないので、「欧州大戦」とも言われていました。

 

というのも、日本とアメリカ以外はほとんどの主戦場がヨーロッパだったからですね。

 

そして1930年代になるとヨーロッパでナチス・ドイツが台頭し始め、アジアでは日本が中国大陸に侵攻し始めます。

1939年にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発しますが、ここでもアメリカは参戦を拒みます。

 

なぜならこの頃もまだ「モンロー主義」があったからです。

アメリカはどうしてもヨーロッパの戦争には巻き込まれたくなかったわけですね。

 

さらにアメリカ国内で「戦争=悪」というイメージがあまりにも強かったためでもありました。

しかし1941年の12月に日本はアメリカに対し「真珠湾攻撃」を決行します。

 

最終的にアメリカは第一次世界大戦と同じように「途中参戦」という形で勝利します。

 

第二次世界大戦後アメリカのモンロー主義は一切意味をなさなくなりましたが、この政策がアメリカに与えた影響はものすごいものがあると言えますね。

19世紀初頭の「ヨーロッパの覇権争いには一切干渉しない」という決断はある意味で成功だったのかもしれませんね。