【天安門事件とは】中国の民主革命をわかりやすく解説します

【天安門事件とは】中国の民主革命をわかりやすく解説します

 

天安門事件とは「六四天安門事件」とも呼ばれていますが、これは1989年の6月4日に起こった事件のことを指します。

1989年とは世界が大きく動いた年であり、近代史・現代史を学ぶ上では非常に重要な年でもあります。

 

その中でも中国で起こった「天安門事件」という民主革命は「世界に影響を与えた」とされています。

 

「天安門事件とはなんだったの?」

「中国では天安門事件ってどういうふうに知られてるの?」

「天安門事件ってそんなに世界に影響与えたの?」

 

本記事ではこのような疑問にお答えしていきます。

 

 

天安門事件とは

 

出典:https://courrier.jp/columns/122741/

 

天安門事件とは1989年6月4日日曜日の中国の首都・北京で起こった事件を指します。

当時北京のど真ん中である天安門広場で中国の民主化を求めるデモが連日起こっていました。

 

このデモは中華人民共和国の総書記であった胡耀邦(コ・ヨウホウ)という人物が1989年4月15日に亡くなり、彼の死去から自然発生的に起こったものでした。

胡耀邦が亡くなってから約1ヶ月半ほどの出来事ですね。

 

胡耀邦(コ・ヨウホウ)と中国共産党

 

「中国人民がもし中国共産党の歴史の真相を知ったら、必ずわれわれの政権を転覆させるだろう」

胡耀邦は生前このようなことを言ったと知られています。

 

というのも中国は「共産党独裁政権」であることから度々「情報を統制している」ということで知られています。

現在でも中国本土では天安門事件は「無かったこと」にされているのが現実です。

 

実際に天安門事件について学校で教えるなんてことはありえなく、インターネット上でさえも「天安門事件」と調べても出てこないほど言論統制が徹底されています。

つまり胡耀邦はそんな中国共産党の性質を知った上で政権に対して批判、言論の自由、個人の尊重を主張していました。

そんなことを中国共産党は許すはずがありませんね。

 

結果的に胡耀邦は失脚し、後に会議中に「謎の心臓麻痺」で亡くなりました。

これに関しては明らかに暗殺だと言われています。

 

これにより中国国内の民主化運動に火がつきます。

 

4月15日から6月4日

 

天安門事件はこの胡耀邦を死に追いやった共産党保守勢力への怒りから起こったものでした。

デモに集まったほとんどが若者&学生でした。

 

胡耀邦の葬儀までに約10万人の人々が集まり中国の民主化を求めます。

この天安門広場のデモは次第に北京全体に広がり始め、最終的には上海などの中国国内の大都市にまで波及していきました。

 

民主化運動が始まった1ヶ月後の5月になると共産党も「戒厳令」を布告し、武力行使の恐れも出てき始めました。

しかし、デモ側も強硬派が多かったため民主化運動が緩むことはありません。

 

そして、6月4日の一般市民への「虐殺」を引き起こしてしまいます。

中国共産党はデモの参加者と支持者を徹底的に逮捕し、外国のジャーナリスト&報道機関を国から追い出します。

 

したがって、情報も曖昧なので死傷者&負傷者の数も定かではありません。

中国当局の発表では死傷者319人ということになっていますが、読売新聞は3000人以上、イギリス政府の公文書では最低でも1万人は殺害されたと言われてます。

 

中国全土で100万人以上の人々がこの民主化運動に参加していました。

これだけの大規模な民主化運動は世界史を見てもなかなかあるものではありません。

 

 

世界への影響

 

出典:ベルリンの壁崩壊

 

この天安門での虐殺事件はすぐに世界中に知れ渡り、各国様々な声明を出しました。

西側諸国(冷戦時)はこの中国政府のデモに対しての武力弾圧を徹底的に批判しました。

 

台湾(中華民国)、アメリカ、フランス、西ドイツなどは中国に対して抗議し、G7による対中首脳会談の中止、武器輸出を禁止するなどの制裁を行いました。

 

対して、当時「東側諸国」に所属していた社会主義政権下の国では中国の武力弾圧を「中国政府の対応は仕方のなかった処置」ということで中国共産党を支持しました。

日本は当然ながらアメリカと同じく「西側諸国」だったので、中国を批判しながらもあくまで「中国の孤立はさせない」ということで、西側諸国との距離をとりました。

 

中国は当時から日本との貿易において非常に重要だったのでこのような微妙な立ち位置にならざるを得なかったということでもありますね。

つまり日本は中国の国際復帰を手助けした国でもあります。

 

現在の中国の尖閣諸島での行いや、この後も終わらぬ言論統制、非人道的な行いなどを考えると、「こんなことになるんだったら…」と悔やまれるところでもあるかもしれませんね。

 

1989年という年

 

1989年と言えば平成元年です。

この天安門事件が起こる半年前に昭和天皇が崩御しました。

 

1989年6月に中国で天安門事件が起きると、その年の11月にベルリンの壁が崩壊します。

ベルリンの壁崩壊を機に東ヨーロッパの国々で次々と革命が始まりました。(東欧革命)

 

1989年の末から東欧の国々が社会主義体制を捨て、次々と資本主義体制に移行していきます。

東ドイツは消滅し、ドイツが統一され、1991年には社会主義の本家でもあるソ連までもが解体することとなります。

 

この中国の天安門事件を契機に世界が変わりましたが、唯一変わることができなかったのが中国でした。

 

現在の中国と香港

 

前述しましたが、中国国内では「天安門事件」に関してはほとんど知られていないのが現実です。

筆者も何人か中国人の友人がいますが、アメリカ在住の中国人でさえ知らないほどです。

 

というのも、中国共産党はインターネットを始め、メディアの言論の統制を徹底的にしているからですね。

まさに「臭いものには蓋をする」じゃないですが、中国共産党に不利な情報は表に出さないのが政権を維持するための常套手段でもあります。

 

これは北朝鮮と同じですね。

 

しかしここで忘れてはならないのが「香港」という中国の都市の存在です。

香港は天安門事件当時まだ「イギリス領」でした。

 

香港がイギリスから中国に正式に返還されるのが1997年のことなので天安門事件から8年のことです。

天安門事件の時に最も早く、過敏に反応したのが香港でした。

 

それもそうですね。

8年後に中国になるのを控えている地域がこの弾圧を黙っているわけにはいきません。

 

香港市内ではこれに対する抗議デモが起こり、事件の翌日6月5日には追悼式を行っています。

この追悼式はその翌年も行われ、今現在でも忘れ去られることなく続いています。

 

そして今年2019年は天安門事件から30周年です。

先日6月4日に香港で追悼式が行われ、それに伴い中国の民主化デモが行われました。

 

「天安門事件の再来」とも言われる武力行使でのデモ鎮圧という結果になってしまいました。

これは昨今ニュースにもなっていますが、香港での抗議デモというのは歴史をたどるとこのような背景があるからです。

 

つまり天安門事件は今現在でも中国国内に大きな影響を与えていると言えます。

 

 

「天安門事件についてもっと知りたいな」

 

こんな方、池上彰氏の著書で有名な「そうだったのか!中国」あたりを読むと中国共産党についてかなりわかるかと思うのでこれはおすすめです⇩