昭和天皇とマッカーサー 〜アメリカではどのように語られているのか〜

昭和天皇とマッカーサー 〜アメリカではどのように語られているのか〜

 

はじめに

僕「マッカーサーって知ってる?」

アメリカ人「知ってるよ!歴史の授業でもやるしね」

僕「アメリカ人にとってマッカーサーってどんな人なの?」

アメリカ人「偉人の一人だよ」

 

ダグラス・マッカーサーとは第二次世界大戦中、「極東陸軍の最高司令官」として太平洋戦争を指揮したアメリカの偉人です。

「太平洋戦争を指揮した」ということで、つまり日本を相手に戦った人物であり、戦後は日本の統治を任された人物です。

 

したがて、日本の歴史においても重要人物の一人でもあります。

マッカーサーと言えば「昭和天皇との会談」がかなり有名ですが、本記事では太平洋戦争と戦後の歴史を振り返りながら、「アメリカでは昭和天皇とマッカーサーはどのように語られているのか?」ということについて詳しく解説しています。

 

 

マッカーサーとは?

 

まずは「マッカーサーとはどんな人物なの?」というところですが、上でも書いてあるように日本でも非常に有名な人物です。

太平洋戦争では「極東陸軍最高司令官」として、対日本との戦争に尽くした人物です。

 

陸軍軍人の家庭で生まれ、若くしてフィリピンに配属され、第一次世界大戦ではヨーロッパ戦線に従軍しました。

その後、フィリピン共和国元帥⇨極東陸軍司令官、「太平洋を知りつくした人物」として、アメリカ軍に重宝されました。

 

太平洋戦争において大日本帝国を倒しアメリカ・連合国を勝利に導いた人物であり、日本の敗戦後は日本統治の「最高権力者」として従事しました。

その後朝鮮戦争の勃発と共に「国連軍最高司令官」として朝鮮半島で指揮をしました。

 

しかし、当時のアメリカ合衆国大統領「トルーマン」とは戦略面で対立したのち、解任され引退しました。

 

日本史の中のマッカーサー

 

日本ではマッカーサーに関する数多くの逸話が今でも語り継がれています。

連合国総司令部(GHQ)が来日し、日本の占領が始まった当初、「ギブミーチョコレート」とアメリカ兵士にねだると貰えたりなど、かつて多くの日本人が信じていた「アメリカ人=鬼畜」という概念が一気に崩れました。

 

また、マッカーサーが昭和天皇との会談において昭和天皇の人柄に感銘を受けたという逸話は日本では広く知られています。(後述)

実際にこの会談以降マッカーサーはイギリスやフランス(連合国)などから要求されていた天皇の軍事裁判を撤回し、これ以来日本国民はGHQ(アメリカ)を広く受け入れることとなりました。

 

このようなことから日本ではマッカーサーは大の親日家としても知られていて、戦後日本の復興、民主主義の普及、教育制度の改革などに尽力したとも知られています。

 

歴史を見ても日本の国体・天皇制が危機に追いやらたのは、「白村江の戦い」、「モンゴル襲来」、「第二次世界大戦」、この3つです。

つまり、この時にGHQ(マッカーサー)が昭和天皇の戦争犯罪を追求しなかったからこそ、今でも日本が何千年にも渡る天皇制を維持できているとも言えます。

 

 

昭和天皇とマッカーサー

 

アメリカの歴史教科書でも同じようにマッカーサーの名前は必ず出てくる偉人の一人です。

しかし、アメリカでは「最高司令官の一人」であり、「大日本帝国を打倒した英雄」として語り継がれています。

 

また昭和天皇とマッカーサーの会談は日本ではかなり知られているように、アメリカでも広く知られています。

 

昭和天皇とマッカーサーが初めて会談したのは1945年9月27日、終戦後1ヶ月ほどのことでした。

会見の申し出は昭和天皇側からあったとされています。

 

これはマッカーサーから昭和天皇へ申し出た際には「日本国民の感情を踏みにじることになる」と考え、天皇側からの招待を待っていた結果だと言われています。

 

駐日アメリカ大使公邸での会談を天皇側から申し込み、自ら訪問しました。

アメリカ人当局者が迎え、天皇陛下に敬礼をし出迎えました。

 

当局者が部屋に招き入れると同時にマッカーサーと昭和天皇が初めて顔を合わせ挨拶をしました。

この時にマッカーサーは、「You are very, very welcome, sir.」と言ったとされています。

 

マッカーサーの側近はマッカーサーが「Sir」という尊敬を表す言葉を使うのを聞いたのはこの時が初めてと語っています。

そして昭和天皇もマッカーサーに対して深くお辞儀をしました。

 

出典:Emperor Hirohito and General MacArthur meeting for the first time, 1945

 

そして、世界史の中でもかなり貴重とされているこの一枚の写真が撮られました。

戦前まで「神」とされていた天皇陛下とその横でリラックスしながら立っているマッカーサーの2ショットは日本国民に衝撃を与えました。

 

当然それまでは天皇陛下と謁見する際はこのような態度で望むべきではなく、「天皇陛下」という単語が出る度に姿勢を正すのがかつての慣習でした。

日本政府は当初この写真をメディアで取り扱うことを「畏れ多い」として猛反発しましたが、GHQの「報道の自由」の方針により、日本国民のほとんどが昭和天皇とマッカーサーの写真をマスコミを通して見ることになりました。

 

そしてこの時に「敗戦とはこういうことなのか」というのを多くの国民が気付かされたとされています。

また、逆に当時この写真を見た日本人の中には、「陛下は姿勢を正しているけど、このアメリカ人はだらしない」として、昭和天皇を称賛する人もいました。

 

出典:昭和天皇とマッカーサー会見の時 ~日本を動かした一枚の写真~

 

手短に予定されていたはずの会談は40分ほど続きました。

 

「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟があります」

 

アメリカ側の資料では昭和天皇は会談の途中でこのように述べたとされています。

この時に通訳を努めていた奥村勝蔵は、「陛下のコメントにマッカーサーは畏怖した」と語っています。

 

出典:Emperor Hirohito and General MacArthur meeting for the first time, 1945

 

この会見で、マッカーサーは昭和天皇のことを「日本の最上の紳士であることを感じとったのである」と語り、実際に会見が終わった時、当初の予定ではありませんでしたが、自ら昭和天皇を玄関まで送りました。

マッカーサーはこの後11回ほど天皇陛下と会見をしました。

 

 

1989年1月・昭和天皇崩御までマッカーサーとの会見の詳細に関しては語られませんでした。

しかし、日本側の資料もアメリカ側のものも大体の内容は一致していて、マッカーサーが天皇陛下の人柄に感嘆したというのも事実です。

 

アメリカ人の多くはマッカーサーを英雄として捉えています。

また、昭和天皇の人柄を称賛するアメリカ人もたくさんいます。

 

太平洋戦争から70年以上経った今、この会見の意義をもう一度振り返って見ると興味深いものがありますね。

 

 

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