日本史には「国体の危機」がいくつかありました。
白村江の戦い(663年)
元寇(1274年&1281年)
第二次世界大戦(1945年)
この三つは日本史の中でも「日本の危機的状況」でもありました。
日本はこれらの危機を乗り越えて、「日本」という形で国が今でも存在しているわけですが、他にはなにがあるでしょうか。
おそらくこれら三つの危機よりも、「欧米諸国の植民地支配から国を守った」ということがわりとすごいかなとも思ったりもします。
戦国時代のスペインによるキリスト教布教からの植民地支配
江戸時代末期、黒船来航に代表される国家の危機
これらの危機を日本はどう乗り越えたのでしょうか。
本記事では「日本が欧米諸国に植民地化されなかった理由」ということで、詳しく解説していきます。
欧米の植民地支配
出典:VOX
こちらの地図でオレンジ色の国が「西欧諸国に植民地化されなかった国」ということになっています。
日本
韓国&北朝鮮
タイ
リベリア
この4か国のみです。
タイに関して、当時東南アジアを広く支配していたイギリスとフランスでしたが、両国が国境を合わせたくないという理由から「タイを緩衝地帯にしよう」ということで、植民地支配から逃れました。
韓国&北朝鮮は、昔から中国大陸からの影響もあったのが大きな理由でもあります。
最終的にタイも朝鮮半島も日本の植民地になってしまいます。
では、日本はどのようにして植民地支配から逃れ、文明開化から欧米列強の仲間入りを果たしたのでしょうか。
見ていきましょう。
①地理的要因
西欧の植民地支配をされなかった理由として、「地理的要因」が大きくあるのは間違いありません。
日本は島国です。
元寇(モンゴル帝国が攻めてきた時)の時もそうでしたが、島国であるということの恩恵をかなり受けています。
あとは、単純にヨーロッパから遠く離れていることも要因ですね。
これだけ遠い島国、さらにはヨーロッパと全く違った文化を持ち、組織化された軍隊、政治を持っている国(武士政権時)だったので、植民地するよりも交易をしたほうがお得ですね。
②豊臣秀吉
個人的な話になってしまいますが、豊臣秀吉公は筆者の一番好きな偉人です。
さて、そんなことは横に置いといて、豊臣秀吉の決断が日本を植民地支配から救うことになります。
上でも書いたように、地理的に遠いことから、西欧諸国は日本を植民地にしませんでした。
しかし、植民地したいとは思っていたのは事実です。
「ジパング黄金の国」と呼ばれるように、日本には金があったからですね。
しかし、それを防いだのは以下の二つです⇩
①バテレン追放令
②文禄・慶長の役(朝鮮出兵)
この二つが重要になります。
①バテレン追放令
西欧の植民地支配では、「宗教の普及」「疫病を流行らせる」「圧倒的な軍事力」これらを駆使しました。
まずは宗教です。
植民地支配をしたい国にキリスト教を布教し、その国の人々にキリスト教徒になってもらいます。
キリスト教徒を信じる人々は次第にヨーロッパからの宣教師の言葉を真に受けます。
「ヨーロッパ=キリスト教の国」
「キリスト教の国=ヨーロッパ」
結果的にヨーロッパ諸国の軍隊、政治を受け入れるようになり、それに対抗する自国の国の軍隊、これらを敵として見るようになります。
「キリスト教に歯向かう朝敵」
こういった形で、西欧はその国の人々をうまく丸め込め侵略していきました。
秀吉はこれを阻止したいと思いました。
もともと、キリスト教を寛容に受け入れたのは信長でした。
そこから、イエズス会の宣教師たちが日本に渡り、キリスト教を布教しはじめます。
これ自体は素晴らしいのですが、次第に九州各地の大名など、いわゆる「インフルエンサー」的な有名人がキリスト教に改宗していき、各地で寺社仏閣が破壊されたり、領民をキリスト教に改宗させ始めます。
ここで、信長の時代に仏教徒の一向宗が団結して彼らに対抗することに手を焼いていたことを秀吉は思い出しました。
さらには、キリシタン大名はポルトガルを通じて日本人を奴隷として海外に売り飛ばしていたことが発覚し、これに秀吉は激怒します。
人身売買を即刻禁止し、バテレン追放令を出します。
これはなにもキリスト教を禁止するものではなく、キリスト教への改宗を強制すること、他宗教を弾圧することを禁止するものでした。
このバテレン追放令が出る前まで、九州ではポルトガル&スペインの日本侵略が始まっていました。
それを食い止めたのが秀吉ということになります。
②文禄・慶長の役
バテレン追放令によって、秀吉は少なからずポルトガル、スペイン諸国を怒らせてしまいます。
この時、この二国はスキを狙って日本への足掛かりを探している状態です。
ですが、この時の日本は軍事大国でした。
というのも、当時の日本は銃器の数でいえば世界一でした。
あの有名な織田信長と武田信玄の「長篠の戦い」では、織田軍が約3000丁の鉄砲を使ったと言われています。
そこから日本中で鉄砲が流行り始めます。
少し余談になりますが、信長は長篠の戦いによって鉄砲の利便性を、実際の戦で証明した後、鉄砲を大量に売り始めました。
つまり長篠の戦いというのは、信長にとって最高のマーケティング戦略でもありました。
そこから日本中に鉄砲が製造、流通するようになり、秀吉の時代に起こる「文禄・慶長の役」では、明&朝鮮を鉄砲で圧倒します。
それもそうですね。
100年以上続いた戦国時代のあと、豊臣軍は圧倒的な強さを誇っていました。
最終的に海軍においての敗戦、物資の調達不足により泥沼化、停戦、講和ということになりますが、西欧諸国はこの戦争を見ていました。
つまりこの時の日本に攻め入っても侵略するのは不可能と見ます。
③幕末期の日本
出典:https://hinomotoo.com/kurofune1/
さて、豊臣秀吉も亡くなり、徳川家康が江戸に幕府を開き、日本は1603年から250年以上続く鎖国、平和な時代が続きます。
後付けならいくらでもできますが、この時の判断は良くも悪くも日本の運命を決めました。
この時、日本は鎖国により、海外からの交易を断ちます。(オランダと清以外)
当時の西欧は「大航海時代」なので、世界の流れとは真逆の道を歩むことになりました。
このツケが250年後の19世紀後半に訪れてくることは徳川氏は知る由もありませんでしたね。
そして、1853年にペリー率いる黒船が日本にやってきて、欧米諸国との圧倒的なレベルの差を目の当たりにします。
①アメリカの植民地にならなかった理由
当時アメリカは南北戦争真っ只中でした。
つまり国内の安定に集中しなければなりません。
南北戦争が終わった後は、国内に余った銃器をフランス、イギリスに売り、「西部開拓」を始めます。
アメリカが海外に目を向けるのは1890年になってからです。
1898年にハワイ王国を併合し、その直後にフィリピンをスペインから奪います。
この頃にはもう日本は日清戦争で中国に勝ち、西欧列強の仲間入りをしているので、アメリカからの日本植民地は免れました。
②イギリス&フランスの植民地にならなかった理由
さて、問題はここからですね。
イギリスとフランスは日本の植民地化を実際に水面下で進めていました。
イギリスは薩英戦争(1863年)によって彼らの軍事力を見て、「武力で侵略するのは難しい」と考え、薩長へ肩入れし始めます。
一方フランスはというと、幕府側につきます。
イギリス⇨薩長へ投資
フランス⇨幕府へ投資
こういう形でお金や武器を双方に貸し始めます。
どちらにしても勝者に賠償金を払わせる仕組みになっていました。
双方を内戦で疲弊させる⇨勝者に賠償金を支払わせる⇨払えなければそれを理由に植民地化
これが狙いです。
ですがここで当時の将軍「徳川慶喜」が得策を考えます。
政権を天皇陛下に返上という形で、最悪の内戦をうまく避けます。
「大政奉還」ですね。
これは坂本龍馬が将軍に打診したとも言われています。
そこから局地的に幕府軍と新政府軍がぶつかりますが、最悪の内戦は防ぎました。
新政府を樹立した明治政府はそのあとしっかりとフランス、イギリスにお金を返し、植民地化を防ぎます。
【結果】日本も列強になった
出典:https://sites.google.com/site/missionwaf/blog-burogu/darkhistory-jp/2jp
新政府を樹立した日本は「富国強兵」をスローガンに列強の仲間入りを目指しました。
最初に目についた地は「朝鮮半島」と「台湾」でした。
ロシアからの影響を防ぎたかったからですね。
冒頭の地図で朝鮮半島とタイは西欧の植民地になっていないのは日本が植民地にしたからです。
そこから第一次世界大戦で太平洋にあるドイツ植民地を奪い、日中戦争、第二次世界大戦、太平洋戦争と続いていきます。
さて、このような感じで日本は西欧による植民地支配を防ぎました。
途中は西欧の植民地政策の仲間入りをしたという方が正解かもしれませんね。
「日本は一度も西欧の植民地になったことがないよ」と外国人に言っても知らないどころか、信じてくれない人が多いことにビックリだ
だから〜だとか言うつもりはないけど、戦国期や幕末にあれだけ色々な駆け引き、重大な決断を乗り越えた歴史があるのに一歩日本を出るとみんな知らないことにショック
— マサヤ🇺🇸ミナトのすゝめ (@masaya_minato) June 12, 2020
先日ツイッターにてこんなツイートをしましたが、残念ながら海外では「日本が一度も西欧の植民地になったことがない」ということはあまり知られていません。
戦国期に「銃器が日本で大量生産されていた」というのもあまり知られていません。
こういった歴史を知っていると外国人に日本をもっと深く知ってもらえるキッカケになるので、良いかもしれませんね。
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