第二次世界大戦後、日本は奇跡的な復興をし世界を驚愕させました。
たったの20年足らずで東京には首都高速道路が開通し、オリンピックを開催させ、「世界最高級」とまで言われる新幹線とそのシステムを開発しました。
1980年代までの日本経済は圧倒的で、GDP(国内総生産)は世界第2位、「Japan as No.1」と謳われ「このままアメリカを超す」そんな勢いがありました。
しかしバブル崩壊後、「失われた20年」と言われ、かつて無いほどの不況を経験します。
このバブル崩壊とは何が原因だったのでしょうか。
正解はアメリカと日本の歴史にあります。
バブルとは?
バブル(Bubble)とは泡です。
「経済が一気に膨れ上がって弾ける様子」を泡になぞらえて「バブル崩壊」と言います。
英語では「Bubble Economy(バブル経済)」と表現します。
日本経済の80年代のバブル景気から1991年のバブル崩壊までの過程が代表的です。
80年代の日本経済
1980年代の日本経済はイケイケでした。
「土地の物価は下がらない」⇐こんな神話がありまして、みんな土地を買った時期がありました。
①土地を買うために銀行からお金を借りる
②買った土地を担保にしてまたお金を借りる
これを永遠と繰り返しました。
“土地の価値は下がることがない”ので、土地を持っている人には銀行も喜んでお金を貸します(かなり低金利で)。
その結果日本全国の地価が高騰しました。
ピーク時には(国土25倍の)アメリカの地価よりも、「日本の地価の方が4倍高い」こんな意味のわからない現象が起きていました。
バブルの崩壊
こうして多くの人たちは低金利のもとで銀行からガンガンお金を借りて土地を買っていきます。
「地価は下がることはない」
もちろんそんなことはありません。
やがて株価と共に地価が暴落しました。
1億で買って1億5000万で売れるはずの土地が5000万円まで価値が下がります。
焦った人達は一気に株&土地を売り払った結果「バブル崩壊」という結果を招きました。
なお貸したお金が返ってこない銀行は至るところで倒産に追い込まれます。
アメリカの圧力
さてここからが本記事の趣旨です。
「金に狂った日本人が自分たちで招いた結果でしょ?」
いえ、違います。
「この背後にはアメリカの圧力があった」というのが事実です。
アメリカの事情
1970年代から「オイルショック」というのが始まり、これを機にアメリカ経済は大ダメージを受けます。
さらに当時のアメリカは深刻な「貿易摩擦」を抱えていました。
つまり、アメリカは日本との貿易で圧倒的な赤字をしていました。
日本は車や電化製品などをアメリカに大量に輸出する一方で、アメリカの製品・食品は日本では売れなかったのです。
このような事情から、アメリカは「これは日本の極端な円安からだ」と国際社会に訴え、「プラザ合意」というのを開きドルを売ることを各国にお願いします。
プラザ合意
「プラザ合意(Plaza Accord)」とは、1985年にニューヨークにある「プラザホテル」で開かれた会議のことを言います。
アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ・日本の各国の代表が集まり、「ドルをどんどん売ろうよ」というのに合意します。
その結果、世界のドルが売られドル安・円高が進みます。
1ドル=240円だったのが、1ドル=120円まで下がったのがこの時です。
僕みたいな留学生や旅好きな人にとってドル安は嬉しいものですが、日本経済にとってはたまりません。
海外に大量に輸出をしている日本はかなりのダメージを受けました。
各地に作った工場はまたたく間に潰れていき、かなりの数の失業者がでました。
一方で長年落ちてこんでいたアメリカ経済は回復に向かいます。
日本がとった解決策
円高により不景気となった日本がとった策は金利を低くすることでした。
日本銀行は金利(公定歩合)を引き下げて、企業や個人にどんどんお金を貸し付けました。
お金を借りられるようになると企業は設備投資や工場を建てたのです。
前述した、日本各地で起きた地価高騰の理由がこれですね。⇐工場を建てたい企業が増えたため
そして、「土地の価値は下がらない」という神話のもとに各地で土地の転売が流行しました。
“調子に乗っていた”日本
何度も言うようですが、当時の日本はイケイケです。
国内総生産(GDP)ではアメリカに次ぐ世界第2位、一人あたりのGDPではアメリカを超していました。
1986年に安田海上火災が過去最高額の3倍以上の値段で当時最高級と言われていた美術作品・ゴッホの「ひまわり」を購入し世界を仰天させます。
同年、三井不動産がニューヨーク・マンハッタンにあるエクソンビル6億1000万ドルで購入。
さらに日本は「アメリカ最大の文化の象徴」にまで手を出します。
三菱地所はニューヨーク・ロックフェラーセンタービルを10億ドル以上で買収、続いてハリウッドのコロンビアピクチャーズも34億ドルでソニーによって買収されます。
日本国内では「ビバリーヒルズみたいな高級住宅街を作ろう」と言いだした千葉県・千葉市は「ワンハンドレッドヒルズ」なるものを開発&分譲販売しました。
バブル崩壊への道
このような状況から、大蔵省(現在の財務省)と日本銀行は金融の引き締めを行います。
日本銀行は土地売買のための融資額を減らし(総量規制)、「公定歩合」を再び引き上げました(金利の引き上げ)。
結果的に担保にしていた土地の価格は一気に下落&融資を受けられなくなった企業の業績は悪化、最終的に銀行は融資をしていたお金が戻ってこない⇛「不良債権」を抱えるようになり、相次いで倒産しました。
これにより、バブルが崩壊しました。
しかしここからの復活は十分可能でした。
そこからさらに日本経済を叩き落とすキッカケになったのが、「調子に乗っていた」日本を最も懸念していたアメリカでした。
日本驚異論
少し話がそれますが、日本が日露戦争でロシアに勝利し「アジアでの影響力」を確実にした時、驚異を感じたアメリカは日本のことを「仮想敵国」として認識し始めました。
これと全く同じ構図が1980年後半に起こります。
つまりバブル崩壊の裏には世界金融のトップがいました。
アメリカの土地を買いあさり、イケイケになっていた日本経済の影響力を懸念したアメリカ&ヨーロッパの銀行が知恵を絞り出して作ったのが「BIS規制」というものです。
BIS規制とはつまり、「国際的に活動する銀行は、自己資本の割合を8%以上にしなさい」という1988年にされた国際的な合意です。
当時、日本の銀行は預金の額こそ世界に誇っていましたが、株の持ち合いで自己資本率は低かったので、日本の銀行にとってこれは「致命的」とも言えるものでした。
もちろんのことアメリカはこの弱点を知っていたので、日本にもBIS規制を適用するよう圧力をかけます。
これにより、日本の経済は悪化の一途をたどり、銀行は多くの不良債権を抱えるようになりました。
結果的に日本のバブル崩壊からの復活は不可能となり、「失われた20年」がここから始まります。
アメリカと日本の関係
本記事ではアメリカの不況に始まり、プラザ合意⇛バブル⇛バブル崩壊⇛BIS規制⇛失われた20年、このように日本のバブル崩壊とアメリカの関係を見てきました。
アメリカの日本への影響力はやっぱり大きいなと感じていただけたかと思います。
最近ではアメリカ・トランプ大統領が各国の輸入製品に関税をかけています。
それにより、中国とアメリカが貿易戦争をしているといった状況ですが、こちらも今後の展望が気になりますね。
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