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「スティーブ・ジョブズ」は世界の「ものづくりの概念」を変えました。
「スティーブ・ジョブズ」とは、あの「アップル」の創業者です。
日本でも「iPhone」を使っている人はかなり多いですが、「知らない人の方が少ないんじゃないか」と言っても過言ではないくらいその功績と人物は知られていますね。
ということで本記事では、「アメリカ偉人伝 第二弾」ということで、スティーブ・ジョブズの一生とその功績を詳しく解説していきます。
スティーブ・ジョブズとは?
出典:スティーブ・ジョブズ
スティーブ・ジョブズは「天才」です。
考え方も人とは違った「独特なアイデア」でよく知られています。
例えば、初対面の社員をいきなりクビにしたり、社内を裸足で歩いていたり、シャワーもめったに浴びなかったなんていう逸話があるほどです。
だからこそ「最も上司にしたくないランキング」に載ることもありました。
すい臓ガンが見つかったときも、「すぐに手術すれば治る」と言われていたのにも関わらず「西洋医学は信じられない」と言い張ります。
そんな謎の民間療法へのこだわりのためにガンが進行してしまい、それが最終的に56歳の若さで亡くなる原因になるのですが、ここまで十分わかるようにスティーブ・ジョブズは少し「変わった人物」です。
ではここからスティーブ・ジョブズの幼少期からアップル創立⇨最大の功績までを詳しく見ていきましょう。
幼少期 (1955年〜1961年)
スティーブ・ジョブズは1995年2月生まれで、生まれてすぐに養子に出されています。
つまりスティーブ・ジョブズは幼少から少年期まで、生みの親ではなく養父母によって育てられました。
ジョブズの実親である「アブドゥルファター」という名の父はイラン人で、ジョブズの母親となる人物「ジョアン」とは彼がアメリカ留学中に出会います。
ですが、アメリカ人とイラン人の結婚、宗教も違えば国も違うということで、「ジョアン」の方の家族が大反対をしました。
そんなことから、二人の間にできた子供(スティーブ・ジョブズ)を養子に出すことになりました。
このエピソードからもわかりますが、アメリカの保守的な家庭はわりとそのへんの宗教の違いに関してはかなり厳しいです。
時代が違いますが、今でも田舎のほうになるとこんな家庭が多いのも現実です。
少年期
少年期から青年期はカリフォルニアで過ごします。
小学生の時授業中に花火をぶっ放すというエピソードがあるほど、この頃からわりと手のかかる「問題児」でした。
しかしIQに関しては他の子とはずば抜けているということで、飛び級し中学校に一年早く進学します。
日本では「飛び級」というのはめったに許さない「年齢主義」が存在しますが、アメリカではこのように「飛び級制度」はわりと一般的でもあります。
そして1968年、ジョブズが13歳の頃ですね。
コンピュータの製造・開発企業であったヒューレット・パッカード社のCEOであったビル・ヒューレットという人物があまりにも好きだったということもあり、ジョブズはある日彼の自宅に電話をかけます。
なにを考えて電話したのかわかりませんが、そこで「面白いやつだな」ということで「ヒューレット・パッカード社」に夏の間アルバイトをさせてもらえるようになります。
13歳の行動力とは思えませんが、この頃からジョブズは交友関係、つまりコネですね、そのへんをどんどん広げていくことになります。
青年期
そして運命的な出会いとなったのが、16歳の時に出会ったスティーブ・ウォズニアックとの出会いでした。
ウォズニアックは当時21歳でコンピュータ、エンジニアの天才です。
「彼に頼めばなんでも作ってくれる」
こんなことを言われていました。
ここからジョブズとウォズニアックの二人で色々やりだします。
二人はブルーボックスという「無料で長距離電話をかけれる機械」を作り出します。
もちろん違法ですが、もともとジョブズはそのへん問題児でもあったため気にするはずがありませんね。
これでかなりの利益を上げることに成功しますが、最終的に銃で脅されブルーボックスを奪われたことをキッカケにそのビジネスはやめることになりました。
大学時代はオレゴン州にあるリード大学という私立大学に進学します。
もともとジョブズは「宗教」や「東洋哲学」「アート」が好きだったため、そのへんの学問に没頭します。
「アートが好き」という点は後のアップル製品のデザインに大きく影響していきます。
iPhoneやMacBookなど、シンプルでかっこいいデザインが多くの人がアップル製品を好む理由でもありますが、ジョブズはそのへんのデザインに関してはかなりのこだわりを持っていました。
しかし最終的に「自分が好きでもない科目を取る意味がない」という理由で半年ほどで大学を中退します。
アップルの名前の由来
そして1976年、ジョブズはウォズニアックとともにアップル社を創業します。
これは初期のマイクロコンピュータである「Apple 1」を販売するためのもので、「アップル」という社名の由来は色々あると言われています。
「ビートルズを尊敬していて、ビートルズのレコード会社”アップル”から取った」
「電話帳の最初に記載したかったから(アルファベット順)」
「キリスト教の”りんご=禁断の果実”から取った」
「単純にりんごが好きだったから」
こんな理由があります。
ですが最終的にアップルが有名になってから、ジョブズはレコード会社の方のアップルから著作権の問題で訴えられてしまいます。
Apple 1 ⇨ MacBook Pro
さて、ここからアップル製品の歴史をさらっと見ていきましょう。
Apple 1 (1976年)
これが初期のアップルコンピュータです。
これはウォズニアックが一人自力で作り出したと言われています。
ウォズニアックはどちらかというと「現場での仕事」、ジョブズは「経営面での仕事」というような関係性が成り立っていました。
Apple 2 (1977年)
この頃からアップルの快進撃が始まります。
「Apple 1」のときはパソコンの原型がまだありませんでしたが、この「Apple 2」から「パソコンの原型」が見えてきますね。
これが大ヒットし、雑誌フォーチュンに「トップビジネスマン」として最年少で選出されます。
そして「アップル製品のなにがすごかったの?」と言うと、それまでの「パソコン」とう言えばあくまで「ビジネス用」でしかなく、個人がパソコンを持つなどまだまだ考えられなかった時代でした。
ここでジョブズは「誰でもコンピュータを持てるように」と作ったのがこのアップルでした。
このマーケティング理念はそれからもずっと変わらずに続いていきます。
つまりコンピュータを初めて庶民に向けて販売したのがアップルだったということですね。
しかし、ジョブズの「少し変わった性格」がここであだとなりました。
というのも、ここまででわかるように、ジョブズはものすごい強いこだわりを持っています。
「俺が良いと思ったものは良い」
「俺は天才なんだ」
こんな感じですね。
これに加え、「言葉も悪いし態度もデカイ」ということで次第に社内から嫌われるようになり、内部揉めした後アップルを退社します。
そしてアップル社を「追放」されて10年の間、ジョブズはピクサーを設立しトイストーリーの製作に携わりました。
このへんでもジョブズの「デザイナー性に長けていた」というのがわかりますね。
そしてトイストーリーを大ヒットさせたのを皮切りに「ネクスト」という会社を設立し、この時期業績が下がって倒産寸前だったアップルに結果的に復帰することになりました。
iMac G3 (1998年)
ジョブズがアップルに復帰してすぐに登場したのがこの斬新なデザインのコンピューター。
当時はこれが爆発的に売れ、どこも半透明なこのデザインを採用するほど影響を与えました。
MacBook Pro (2006年)
そしてここから「MacBook」の時代に入っていきます。
この翌年に初めての「iPhone」が発売され、2008年には「史上最も軽量なノートパソコン」と言われる「MacBook Air」が登場、そして現在のアップルになってきます。
スティーブ・ジョブズの最期 (56歳 2011年)
2011年10月5日、スティーブ・ジョブズは56歳という若さですい臓ガンで亡くなりました。
「アップルの創業者であり、革新的なアイディア、技術力を世界に貢献した」ということから、国から「アメリカ国家技術賞」を受賞しています。
亡くなった直後には当時大統領であった「オバマ大統領」も追悼の意を表明しました。
アメリカ、世界にとって多大なる功績を残した人物でありますね。
間違いなく未来の教科書に載る人物です。
ということで、最期にあの有名なスタンフォード大学でのスピーチの動画を貼っておきます。
今見ると感慨深いものがありますね。
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