【アメリカ偉人伝】黒人指導者「マルコムX」の人生が過激すぎる件

【アメリカ偉人伝】黒人指導者「マルコムX」の人生が過激すぎる件

 

1960年代にアメリカで起きた「公民権運動」を知っている人も多いかと思います。

中でも「キング牧師」はかなり有名で、日本でも「社会」や「公民」、「歴史」の授業なんかで名前だけは聞いたことのある人も多いかと思います。

 

「マルコムX」という人物は「キング牧師」と同じ時代に「黒人指導者」として、「黒人に平等の権利を」として「公民権運動」に貢献した人物です。

彼は5歳の時に白人至上主義者に父親を殺害され、その後すぐ母親が他界、21歳で刑務所に入り、投獄中にイスラム教に改宗、そこから黒人指導者として世に名が知られますが、39歳の若さで暗殺され生涯を終えました。

 

本記事ではそんな「マルコムX」の偉人伝をご紹介していきます。

 

マルコムXとは?

出典:Kennedy, King, Malcolm X relatives and scholars seek new assassination probes

 

私は自衛のための暴力を、暴力とは呼ばない。知性と呼ぶ。

 

私はアメリカ人ではない。

私は、アメリカニズムの犠牲者となった2,200万人の黒人の中のひとりなのだ。

民主主義の犠牲者である2,200万人の黒人の中のひとりなのだ。

 

無責任な新聞は、犯罪者を犠牲者に、犠牲者を犯罪者にすり替える。

もしあなた方が注意深く見ていなければ、新聞はあなた方を操る。

そして抑圧されている人間を憎み、抑圧している人間を愛するように仕向けるだろう。

 

我々の目的は、いかなる手段をとろうとも、完全な自由・正義・平等を確立することだ。

 

これら筆者がわりと気に入っているマルコムXの名言です。

これらマルコムXが言っている言葉から彼の「人となり」が少しだけわかるのかなと思います。

 

例えば「自衛のための暴力は暴力ではなく知性」と言っていたり、「自由・正義・平等のためなら手段を選ばない」と言っているところから彼の「過激な思想」がわかりますね。

「非暴力」で人種差別と戦ったキング牧師とは対照的で、マルコムXは「我々は戦って平等を勝ち取るんだ」と生涯訴えました。

 

マルコムXの名前の由来

 

「マルコムX」という名前は彼がイスラム教の団体「ネーション・オブ・イスラム(NOI)」に入信する際に、自分の名前である「マルコム」に「X」をつけたことから始まります。

この「X」「永久に分からないアフリカの祖先の姓の象徴」を指すものだと言われています。

 

ということで本名は「マルコム・リトル」という名前で、幼少期はネブラスカ州オマハというところで生まれ育ちました。

1925年5月生まれなので、第一次世界大戦後、日本で言えば「関東大震災(1923年)」が起きた2年後ですね。

 

かなり昔の話です。

 

マルコムXの幼少期

 

「ジョン・F・ケネディ」

「バラク・オバマ」

「スティーブ・ジョブズ」

 

このへんのアメリカの偉人は大学で教育も受けていて、こぞって「エリート」「天才」です。

一方で「マルコムX」ですが、大学など一切行っていないどころか、強盗の容疑で逮捕され刑務所で過ごしていたという「黒歴史」があります。

 

ですが、彼の語彙力・話し方があまりにも知性があるということで、周りからは「一体どこの大学を出たんだ?」とよく聞かれたと言われています。

その際には「刑務所の図書館だ」と答えていたという逸話があるほどです。

 

生前マルコムXは大学や大学院を卒業している黒人を「白人に従順になるように調教されたことに気付かない哀れな家畜だ」と批判しています。

 

ということで話がそれていますが、マルコムXの幼少期はアメリカにおいて「黒人差別」が今とは比べ物にならないほどひどかった世界大戦以前の時代です。

両親はアフリカ系アメリカ人で、自宅敷地内の家庭菜園で家族を養っていました。

 

繰り返しますが、マルコムXは上で言っている「エリート偉人」とはかけ離れています。

言葉は悪いですが、「底辺」の生活ですね。

 

父親は「アメリカの黒人に自由など存在しない」と考えていた人物でした。

そしてマルコムXが5歳の時に、黒人差別主義者である「白人至上主義グループ」の「KKK」という団体に父親を殺害されてしまいます。

 

「KKKってなに?」という方は、以下の記事を読むと詳しくわかるのでおすすめです⇩

 

【マジでやばい】秘密結社「KKK」から見るアメリカの人種問題の歴史

 

「頭が変形するほど殴られ、体が三つに切断されるように線路に放置されて轢死体となって発見された」と言われています。

しかし、当時マルコムXの家族は2つの生命保険に加入していたことから、警察側でこの事件は「自殺」と判断され、その後母親も精神を病み亡くなりました。

 

マルコムXの母親は黒人と白人の混血で、母親(マルコムXの祖母)が白人に強姦された結果で生まれたという境遇を持っていました。

これだけのエピソードを見ても当時のアメリカ社会がいかに「人種差別的」だったかがわかるかと思います。

 

マルコムXの青年期

 

両親が亡くなってから、マルコムXは白人の上流階級の家に引き取られました。

というのも当時アメリカでは「慈善活動」という名で、富裕層の白人が黒人の孤児を引き取るということが流行していました。

 

マルコムXは自伝でこの時期のことを「珍しい動物としか扱われなかった」と語っています。

仕方なく白人しかいない田舎の学校に通うこととなり、一番後ろの席で常に「ボーっと過ごしていた」と言われています。

 

その際に白人教師に「将来なにになりたいか」と尋ねられた際に「弁護士か医者」と答えるも、「黒人はどんなに頑張っても偉くなれない。黒人らしい夢を見た方がいい」と揶揄され、マルコムXはボストンへ転居、その後ナイトクラブで靴磨きの仕事を始めます。

 

その後、ニューヨーク・ハーレムでギャンブル、麻薬売買、売春、強盗に手を染めるようになります。

第二次世界大戦中には「精神異常」を装って、徴兵を回避しています。

 

投獄から刑務所へ

 

マルコムXの人生を変えるのは刑務所に投獄されていた時代でした。

1946年、彼が20歳の時に強盗の容疑で逮捕されます。

 

入獄から2年ほど経った時に、兄から1通の手紙が届きました。

それには「黒人本来の宗教を見つけた」と記されており、マルコムをイスラム教に関して勉強するように促すようなものでした。

 

兄はその時すでに「ネーション・オブ・イスラム(NOI)」に入信していました。

「ネーション・オブ・イスラム」というのは、アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人によるイスラム運動組織で、「これほど自分に合ったものはない」と思い、マルコムもこの時に入信します。

 

そこからマルコムは刑務所内で徹底して勉学に励みます。

まずは英語(国語)の勉強です。

 

刑務所内の図書館にあった辞書を持ってきて、AからZまでの単語をすべて書き写し音読するというようなことをしました。

マルコムXの一生を描いた映画(スパイク・リー作)の「マルコムX」という映画の中でそのシーンがあります。

 

刑務所内で知り合った「ビンビイ」という男(学識がありマルコムに勉学を勧めた人物)に、「神(God)の肌色は何色だ?」と聞かれた時、マルコムは「白人だ。そんなこと誰もが知っていることだろう。」と即答します。

するとビンビイはマルコムを図書館に連れていき、「Black(黒)」という単語の意味を辞書で調べさせます。

 

辞書で単語の意味を調べてみると「Black(黒)=憂鬱、暗黒、汚れ」と出てくる一方で、「White(白)」の意味を調べると「ピュア、真実、黒の反義語」というような記述が出てきます。

そこでマルコムはその辞書を作った人物が白人だということに気づきます。

 

そしてビンビイが「真実はいつも言葉の裏側にある。100%理解するには物事を多面的に見なければいけないんだ。」とマルコムに言い「この社会自体が白人によって創造されているんだ」と結論づけます。

 

映画の説明がだいぶ長くなっていますが、このエピソードは実話だと言われており、この頃からマルコムは「批判的思考」で社会を見るようになっていきます。

 

(マルコムXという映画はおすすめです)

 

出所からネーション・オブ・イスラムへ

 

1952年にマルコムは刑務所から出所します。

刑務所から出たマルコムが最初に購入したのが「スーツケース」「眼鏡」「時計」と言われていて、この後彼は「この時に買ったものが人生で一番役に立った」と言っています。

 

そして「ネーション・オブ・イスラム」に入信したことにより、教団から「X」の性を授かりこの頃から「マルコムX」と名乗り始めます。

というのも、アフリカ系アメリカ人の性というのは本来独自のものではなく、昔奴隷保有者だった「主人」が勝手につけたものだったからですね。

 

「白人が勝手につけた性を名乗るべきではない」

 

このようなことから、「ネーション・オブ・イスラム」では、「X = 永久に分からないアフリカの祖先の姓の象徴」ということで、性に「X」をつけることを奨励していました。

 

ジョンソン事件

そんな「ネーション・オブ・イスラム」ですが、このときはまだまだ無名の宗教団体にしか過ぎませんでした。

 

そんな中、1957年に起こったのが「ジョンソン事件」でした。

この事件をきっかけに「ネーション・オブ・イスラム」と「マルコムX」の名前が有名になっていきます。

 

現在もなおアメリカでは「白人警察による黒人への暴力・殺人」が社会問題になっていますが、ジョンソン事件というのはまさにそれです。

ネーション・オブ・イスラムのメンバーであった「ジョンソン」という人物が、ニューヨーク・ハーレムで警官に警棒で殴られ意識朦朧の中逮捕されてしまいます。

 

そこでマルコムXはわずか30分という時間の中でネーション・オブ・イスラムのメンバー50人を招集させ、警察署の前でジョンソンをまず病院に連れて治療をさせるよう要求します。

最終的にジョンソンは一命をとりとめ、その後彼は全くの無罪だったことが証明されました。

 

この事件によってマルコムXは周りの信頼や知名度を上げていくことになります。

 

脱退からメッカ巡礼

出典:MALCOLM X IN MECCA 1964 A MOMENT IN HISTORY

 

しかしそんなマルコムXもネーション・オブ・イスラムを脱退することになります。

というのも、教団の重要人物でありマルコムを入信させるキッカケを作った「イライジャ・ムハンマド」という人物が少女を強姦し、子供を生ませていたことが判明します。

 

これに憤りを感じたマルコムXでしたが、このへんからマルコムXと教団のメンバーとも仲が悪くなっていきした。

1963年には教団のメンバーがマルコムを暗殺しようと試みますが失敗に終わります。

 

翌年1964年にマルコムXはキング牧師と最初で最後の対面し、同年イスラムの聖地であるメッカに巡礼します。

その際に世界各地から色々な人種の人がメッカに訪れ、同じ儀式に参加する様子を生で見て感銘を受けたと言われています。

 

帰国後マルコムXはアフリカ系アメリカ人統一機構(Organization of Afro-American Unity)という組織を作り、ネーション・オブ・イスラムも脱退します。

 

暗殺とその動機

 

出典:https://ameblo.jp/123hiro/entry-12370719857.html

 

ネーション・オブ・イスラムをついに脱退したマルコムXですが、この頃になるとマルコムXは護衛なしでは外には出ないようになりました。

上の写真はマルコムが銃を片手に窓から外を凝視している姿を「Life」という雑誌が撮ったものです。

 

この頃になると家族や自分宛に脅迫状や殺害予告が頻繁に届くようになり、マルコムも自己防衛を徹底していました。

しかし1965年2月のマンハッタンでのスピーチ中にて、教団メンバーにより銃殺されてしまいます。

 

暗殺犯は捕まり、第一級殺人で有罪判決がくだされますが、動機は「マルコムがネーション・オブ・イスラムを裏切ったから」ということになっています。

しかし実際には「それ本当?」という疑問が残っているのも現実です。

 

マルコムXも生前、「俺の命を狙っているのは教団だけでなく、FBIやCIAも協力しているのではないか」と言っています。

真実は今もわからないままです。

 

マルコムXは偉人です

 

ということで、本記事では「マルコムXの偉人伝」ということでご紹介していきました。

冒頭でも書いてあるように、キング牧師は日本でもわりと知られていますが、マルコムXは知っている人も少ないかもしれませんね。

 

非暴力で「自由と平等」を訴えたキング牧師とは対照的で、「アメリカには黒人の権利はない⇨アメリカの黒人はアフリカに帰るべきだ」と訴えたのがマルコムXでした。

「自衛のための暴力はOK」と言っていたマルコムXですが、黒人の自由と平等を訴える中で、実際に暴動行為に出たことは一度もありませんでした。

 

今でもアメリカのアフリカ系アメリカ人の中ではマルコムXは英雄ですが、中にはマルコムXが言っていたことを「勘違い」して「黒人の暴力行為」を奨励している方も中にはいます。

「アメリカには今でも警察官の黒人に対する接し方がひどい」と上でも書きましたが、逆にそれに対する「黒人の暴動」「行き過ぎたデモ」も問題になっているのも事実です。

 

マルコムXやキング牧師が生きた時代の60年前の時代に戻っている気もしますが、今のアメリカを見たら彼らがなにを思うのでしょうか。