【アメリカVSソ連】冷戦についてわかりやすく解説します

【アメリカVSソ連】冷戦についてわかりやすく解説します

 

はじめに

僕「アメリカの高校では冷戦についてどんな感じで教わるの?」

アメリカ人「アメリカとソ連”どっちが先に月に行けるか”っていうのがメインだったな」

僕「え、代理戦争については教わらないの?」

アメリカ人「”ベトナム戦争は最も悲惨だった”っていうのは教わる」

 

冷戦とはいわゆる「冷たい戦争」という意味です。

第二次世界大戦終結後の1945年からベルリンの壁が崩壊し東欧革命が起きた1989年までの期間を指します。

 

核兵器の登場により第二次世界大戦までの大国同士の戦争というよりも、「代理戦争」という様相が強くなってきたことから「冷戦」が起きました。

本記事ではそんな冷戦についてわかりやすく解説していきます。

 

冷戦とは?

 

冷戦とはその名の通り「冷たい戦争」のことを言います。

英語でも「Cold War」と言います。

 

そのままですね。

 

アメリカVSソ連

 

ということで、当時の超大国同士での「にらみ合い」のような戦争でした。

この時代に大量の核兵器が生産され、宇宙開発も同時に進められました。

 

大国同士の戦争は起こりませんでしたが、その代わり「代理戦争」ということで世界各地でアメリカとソ連の同盟国が2国の支援により戦争をします。

 

冷戦の構図

 

1959年の世界地図

  • 青&水色=西側諸国&アメリカ同盟国 
  • 赤&ピンク=東側諸国&ソ連同盟国
  • 緑=植民地
  • 灰色=非同盟諸国

出典:冷戦

 

アメリカ=資本主義圏

ソ連=共産主義圏

 

資本主義

「政府は介入せずに競争市場を活性化させ自由経済を目指す」

 

共産主義

「国家が経済に介入して自由経済よりもむしろ平等を目指す」

 

このような政治の方針の違いから、

 

アメリカ+西側諸国

VS

ソ連+東側諸国

 

このような構図になります。

 

冷戦の原因

 

1945年8月15日日本がポツダム宣言を受け入れることにより第二次世界大戦が終結します。

それまでアメリカもソ連も日本とドイツという「共通の敵」が存在していたので良かったのですが、終戦後すぐに資本主義と共産主義の「政治イデオロギー」の違いにより対立していきます。

 

ヨーロッパでは敗戦国であるドイツが西ドイツと東ドイツに分断され、その線を境として「東西分裂」が起きます。

つまりソ連を含むヨーロッパの東側が「東側諸国(共産圏)」、イギリスやフランスを含む西側が「西側諸国(資本主義圏)」ということですね。

 

出典:鉄のカーテン

 

このヨーロッパの分断線を「鉄のカーテン」とも言います。

 

日本への影響

 

出典:竹のカーテン

 

これはアジアにおいての共産圏と資本主義圏の分断マップですが、こちらは「竹のカーテン」と言われています。

 

冷戦において日本は非常に重要な位置にいました。

日本は東の果てにある島国です。

 

日本が共産圏の影響を受けてしまえばその他のアジアの国や太平洋にまで影響を及ぼします。

したがって、ソ連が日本に共産主義の影響を与えることはアメリカとしては絶対に防ぎたかったのです。

 

つまりこれがアメリカが第二次世界大戦を早く終結させたかった最大の理由です。

ソ連が日本に進出するのを防ぐために原爆投下をして一刻も早く日本には降伏してもらいたかったということですね。

 

実際にソ連の共産主義思想は中国大陸、朝鮮半島にまで来ていました。

 

 

朝鮮戦争

 

大日本帝国が解体されたあと、日本はアメリカが統治し、日本が統治していた朝鮮半島はアメリカとソ連により南北に分断されました。

これが今の韓国(資本主義)と北朝鮮(共産主義)の始まりです。

 

1950年に北朝鮮が南北の境界線である38度線を越えたことから始まりこの戦争は3年間続きました。

これが冷戦における「代理戦争」の一番最初とも言われています。

 

西側自由主義陣営諸国を中心とした「国連軍」と、東側諸国の支援を受ける「中国人民志願軍」が交戦勢力として参戦しました。

1953年に「休戦」という形で戦争が終わりますが、現在でも「休戦中」ということになっています。

 

前年の2018年に南北で首脳会談が開かれ、「終戦を目指す」という形で合意していますが、未だに延期されている状態です。

 

 

核兵器開発競争

 

第二次世界大戦末期にアメリカは広島と長崎に原爆を落としました。

これは人類史上初めて核兵器が使用されたわけですが、ここからソ連も核兵器の開発を全力で進めていきました。

 

ここからアメリカとソ連の間で「核開発競争」が始まっていきます。

1949年にはソ連が長崎型と同じプルトニウム爆弾の実験に成功します。

 

これはアメリカにとっては衝撃でした。

というのも、アメリカは「ソ連が原爆開発は最低でも10年から20年はかかるだろう」と見ていました。

 

しかし、ソ連は終戦からわずか4年で原爆実験を成功させます。

これはソ連がアメリカに送っていた「スパイ」のおかげでした。

 

つまりソ連はアメリカ国内にスパイを大量に送り原爆の情報を盗んでいました。

これがソ連の原爆開発を大きく躍進させた要因ともなりました。

 

ここからアメリカとソ連の間ではスパイ工作も盛んになっていき、核兵器の大量生産が始まります。

両国が最も多くの核兵器を保有していたのは1980年代中期で、この時アメリカには2万3千発、ソ連には4万発以上もの核兵器が保管されていたと言われています。

 

そもそもなんで?

 

「そもそもなんで核兵器が必要なの?」

 

これは「抑止力」というものです。

つまり自分がものすごい武器を持っていれば相手は攻撃してこないだろうという考え方です。

 

これほどの量の核兵器を生産&保有するのも、どちらか一方が核攻撃をした時にその報復として「打ち返せるだけの核兵器」が必要と考えたからです。

相手が1発持っていればこちらは2発、相手が2発ならこちらは3発、このように数で勝っていれば相手が報復を恐れて「攻撃してこないだろう」という考え方です。

 

さらにこの核兵器の抑止力は戦略的だけでなく外交的にも役立ちます。

こっちはすごい武器を持っていれば相手は強気には出れませんね。

 

このようなことから互いに牽制しあいながら核兵器の数だけが増えていきました。

 

水素爆弾

 

そしてこの2国は原子力爆弾にとどまらず「水素爆弾」の開発も進めていきます。

「水素爆弾」とはその名の通り水素を使った核兵器です。

 

広島・長崎級の原爆の数百倍のエネルギーを放出するとも言われています。

それだけ開発も困難なのですが、アメリカとソ連は水爆も大量生産し始めます。

 

ソ連が初めて原爆実験に成功した3年後の1952年にアメリカは世界初の水爆実験に成功します。

そのさらに3年後の1955年にソ連も水爆実験に成功しています。

 

 

宇宙開発競争

 

これは1957年から1975年まで続いた宇宙をめぐったアメリカとソ連の競争のことを言います。

 

「なんで宇宙なの?」ということですが、軍事力と宇宙開発は密接な関係があるからですね。

もともとは軍備の拡張競争だったのですが、次第に軍備よりも宇宙のほうがメインになってきて最終的に「宇宙競争」と呼ばれるようになりました。

 

国の技術力、科学力を世界にアピールするためのものだったということですね。

1957年にソ連が世界で初めて人工衛星を地球周回軌道に送り込むことに成功しました。

 

これを見たアメリカはすぐに宇宙開発に乗り出し、1958年に人工衛星、続いて世界で初めて通信衛星の打ち上げに成功します。

1960年にはソ連は世界で初めて2匹の犬を宇宙に送り帰還させ、翌年61年に有人宇宙飛行を成功、65年には宇宙遊泳もします。

 

しかし、1969年7月に人類で初めての月面着陸にアメリカが成功させます。

 

 

ベトナム戦争

 

そして1960年代には東南アジアのベトナムで起きていた戦争にアメリカが本格的に介入し始めます。

1964年に起きたトンキン湾事件(北ベトナム海軍がアメリカ海軍の駆逐艦を魚雷攻撃した事件)を機にアメリカはベトナムに大規模な軍事攻撃を開始します。

 

ベトナム戦争はアメリカ史における「アメリカが全力を尽くした最後の戦争」とも言われています。

南ベトナム軍&アメリカ軍合計200万人が戦争に参加したと言われていて、大量の戦死者を出したアメリカ史では最も悲惨の戦争の一つです。

 

しかしアメリカ軍はベトナムにおいて「枯葉剤」を使用して森林を大量に破壊したり、「ナパーム弾」により一般人をも殺害しました。

これらのアメリカ軍によるひどい行いがメディアを通じて太平洋を越えたアメリカ本土にも伝わり、アメリカ国内では反戦運動が大規模に起こり始めます。

 

日本でもこのベトナム戦争が原因で「反米運動」が始まります。

60年代の大規模な学生運動はこのような背景があります。

 

そして1973年にアメリカ軍はベトナムから撤退します。

 

 

ベルリンの壁崩壊とソ連の解体

 

これだけ核開発や宇宙開発、戦争を続ければ軍事費が膨れ上がるのは当然ですね。

膨れ上がった軍事費によりソ連の産業構造の転換は遅れ、経済は停滞していました。

 

食料品や日用品は慢性的に不足し、資本主義圏と大きな差が開いていました。

 

ゴルバチョフの就任

 

そんな状況にあったソ連ですが、1985年にゴルバチョフが最高指導者となります。

ゴルバチョフは現状の経済的停滞を打破するためには改革が必要だと考えました。

 

そして「グラスノスチ(情報公開)」「ペレストロイカ(再構築)」という改革を進めていきます。

最終的にこれが崩壊の原因となります。

 

というのもそれまで徹底した権力のもとで支配していたソ連でしたがこの情報規制緩和により、ソ連政府に批判的な声が高まりました。

また経済改革もそれまで中央政府によって管理されていたのが当たり前だった史上だったので、そこからの発展は非常に時間を要しました。

 

これにより、ソ連経済はさらに悪化の一途をたどります。

そして1989年には東欧諸国の国々で革命が次々に起こり、その年の11月に「冷戦の象徴」でもあった東ドイツと西ドイツを分断する「ベルリンの壁」が市民によって崩壊させられました。

 

そして1991年にゴルバチョフが辞任を表明し、ソ連の解体を発表しました。

 

 

ここまでが「冷戦」の一連の流れとなります。

 

他にも冷戦中に起こった重要な歴史的事件がありますが、中でも「キューバ危機」に関しても「冷戦の象徴」とも言えます。

以下の記事ではそんな「キューバ危機」に関してかなり詳しく解説しています⇩