日本ではクリスマス(キリスト教)を祝った1週間後に神社(神道)に初詣に行きますね。
また、家族や親族が亡くなったら葬儀(仏教)をやるのが慣例となっています。
最近ではハロウィンが人気ですが、このように様々な宗教に対して寛容なのはわりと世界でも珍しいと言われています。
「日本には宗教間の争いがなかった」
「日本人は歴史的に他宗教に寛容だった」
結果的にこのような歴史的解釈をする人も少なくありませんね。
しかし世界から見たら「日本が他宗教に寛容」というのは少し違います。
むしろこれを外国人の方に言ったら笑われるかもしれません。
「なんで?」という方もいると思います。
ということで、本記事では日本の宗教観を歴史的背景から見ていき、日本が宗教に寛容じゃない事例をまとめています。
日本の宗教は?
「多くの日本人は無宗教」このような認識も少なくないかと思います。
しかし前述したように、日本には神社でお参りする習慣があったり、お葬式を仏教の方式に習ったり、なんらかの神様や仏様を信じているのも事実です。
明治維新以降に神仏分離(神道と仏教を離して考える)が定められて、国教が神道になりました。
戦後GHQの方針で国家神道は廃止になり、現在では日本に国教は定められていません。
つまり国民一人ひとりに信仰の自由・宗教の選択の自由があります。
しかし、神道の最大権威は天皇陛下であり、皇室行事は神道の祝祭に基づいて行われます。
また、各々の神社で信仰の対象となっているのは天皇陛下とその祖先であります。
例えば、「日本国内で最も格式のお高い神社」として名高い「伊勢神宮」ですが、ここの主祭神は天照大御神、つまり天皇陛下のご先祖様です。
このように、日本の天皇陛下及び、皇室と神社(神道)は切っても切り離せない関係にあります。
天皇陛下=日本のシンボル
これを考えた時に、神道=日本の宗教とも言えます。
神仏習合の歴史
日本書紀によると、日本の起源は天皇陛下(天照大御神)にあります。
具体的に「いつ日本が建国されたか」これは書物の無い時代なのでハッキリしていません。
しかし、日本の起源からずっと日本は神道でしたが、欽明天皇の時代に仏教が伝来しました。(仏教伝来)
こちらも日本書紀の記録によるものですが、当初は神道勢力は仏教を反対したものの、西日本各地の国々はすでに信仰していたので、徐々に仏教文化が日本各地に広まりました。
そして、聖徳太子をはじめ各地の権力者達が仏教を認め、日本各地に寺院が建てられました。
ここが神仏習合の始まりです。
つまり、この時から神道と仏教が共生し始めました。
この時の日本は間違いなく「宗教に寛容」ですね。
キリスト教伝来
キリスト教が日本に伝わったのは戦国時代です。
あの有名な「ザビエル」が現在の鹿児島県に上陸してキリスト教を日本で初めて普及していきました。
もう一人イエズス会の「ルイス・フロイス」という宣教師がその後、当時最大の権力を持っていた織田信長と安土城で会見をします。
この時に織田信長は「キリスト教を非常に好意的に迎え入れた」とされています。
その後九州各地には「キリスト教大名」をはじめ多くの日本人がキリスト教徒になりました。
こちらのキリスト教伝来の歴史を見ても日本は「他宗教に寛容」と言えます。
キリスト教弾圧の歴史
ここまで、日本の歴史上で他宗教を寛容に受け入れた事例を見てきました。
しかし同時に、日本には他宗教を弾圧した歴史もあります。
豊臣秀吉
仏教やキリスト教を寛大に受け入れた歴史がある一方で、他宗教を弾圧してきた歴史も日本にはあります。
安土桃山時代の「本能寺の変」の後に豊臣秀吉が「山崎の戦い」で明智光秀を倒し、続いて「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家を倒して、実質織田信長の跡を次ぐことになります。
当初、豊臣秀吉も信長同様、キリスト教にはとても寛大でした。
しかし、西欧諸国が次々に東南アジア諸国を植民地化していたのを秀吉は懸念していました。
というのも、西欧諸国が植民地化の常套手段として使っていたのが「キリスト教の普及」だったからです。
つまり当時、日本の国教である仏教や神道の影響力が弱まって、日本国民のほとんどがキリスト教に改宗してしまったら、キリスト教発祥の地である西欧、つまりヨーロッパに親近感を湧きます。
結果として、当時の権力を握っていた豊臣家の威信に関わってくる⇨日本も西欧に植民地化されてしまう
このような不安を抱きました。
こうして秀吉は日本全国でキリスト教の普及を禁止しました(禁教令&バレテン追放令)。
徳川家康
豊臣秀吉の死後、あの有名な「関ヶ原の戦い」で勝利した徳川家康は江戸に幕府を開きます。
家康はもともと仏教に信仰が強かったのでキリスト教をあまり好んでいませんでした。
西欧との貿易上、キリスト教の布教は「仕方のない」というスタンスでした。
しかし、だんだんキリスト教の影響力&信者が増えていく中で、キリスト教を全面禁止にします(慶長の禁教令)。
その後、島原の乱が起き、踏み絵など様々な手段を用いてキリスト教を弾圧していきます。
当時「隠れキリシタン」が多かった長崎には、今でもたくさんの資料が置いてあります。
映画「沈黙」は江戸時代の隠れキリシタンを題材にした作品です。(おすすめです)
日本と世界の宗教
上の豊臣秀吉と徳川家康のキリスト教弾圧の歴史を見て、「これは日本を西欧列強から守るために仕方のなかった処置」と言う人も多いと思います。
これはまさにそのとおりです。
しかし実際に国の存続や国家の危機に直面した時に日本は宗教を弾圧したのは事実です。
さらに鎖国から始まり、現在においても移民や外国人に不寛容なのは変わっていません。
日本の現状
例えば、今でこそ外国人観光客を誘致していますが、外国人が日本の観光VISAや留学VISAを取得するのは非常に難しいのが現実です。
実際に日本に住む98%の人が日本人で、外国人はほんの一握りでしかありません。
江戸時代の「鎖国」もそうですが、歴史的に日本は世界からシャットアウトしているというふうに見られているのが現実です。
これを「日本は他宗教に寛容」もしくは「多様性を受け入れる国」と言えるでしょうか。
冒頭でも書いたように外国人に「日本は他宗教に寛容」と言ったら鼻で笑われるでしょう。
欧州の現実
現在ヨーロッパで起きている移民廃止や宗教間の争いは、元々その国に住んで税金を払っている人が「後から来た移民」や「違う宗教」の人たちに仕事を奪われたり、治安を乱されて起こっているのが現実です。
現在日本にも外国人労働者が増えてはいますが、何年後かしてその人たちが日本人よりも高給な仕事に就いていたり、その外国人のせいで職を無くした人は、非難の声を上げるでしょう。
実際に現在のヨーロッパのような現実に日本が直面した場合、本当に「他宗教に寛容」でいつづけられるのかは疑問です。
アメリカの現実
2001年9月11日に同時多発テロが起きたのは記憶に新しいかと思います。
アメリカでは現在でも「テロとの戦い」ということで、国内では他宗教に対しての処置で問題となっています。
今アメリカで問題となっているトランプ大統領の移民政策や、イスラム教圏からの旅行者の制限も、このテロがすべての始まりです。
一方日本はどうでしょう。
日本に同じようなテロが起こった場合にそれでも「他宗教に寛容」でいられるでしょうか。
1994年に起こった「地下鉄サリン事件」が新興宗教ではなく、同時多発テロのようにイスラム原理主義によるものだったら今頃「他宗教に寛容」ではいられなかったでしょう。
日本は他宗教に寛容?
結論として、「日本が他宗教に寛容だった」ということに関して疑問になるところではありますね。
一つ確実に言えることは、
日本⇨他宗教に寛容
世界⇨他宗教に不寛容
これは明らかな間違いです。
実際に日本にも他国の歴史と同じように他宗教を弾圧した歴史はあります。
さらに現在でも移民や外国人をかなり厳しく規制しているのも事実です。
「日本は他宗教に寛容だよ」⇦これを外国人の方に言ったら笑われるかもしれません。
ヨーロッパのように移民や外国人労働者が増えて国民に不利益が生じた時に、民族間や宗教間で争いが起きるのは歴史が教えてくれています。
「他にも歴史や宗教についてわかりやすい記事ないのかな」
こんな方、以下の記事をおすすめします⇩
大昔の話ばっかであんま参考にならないなぁ
日本人は、他宗教に関しては、寛容でないかも知れませんが、自分に危害が及ばなけれ不寛容ではないと思います。バテレン追放令にしても、バテレン側が、暴れまくったからだと思いますが