【戦争に導いた?】国家神道について5分でわかりやすく解説します

【戦争に導いた?】国家神道について5分でわかりやすく解説します

 

「神道」とは言うまでもなく、古代日本から残る日本の宗教です。

神道は多神教であり教典や教えなどはありません。

 

現在では日本人の50%ほどが神道信者とされていて、アメリカ・CIAが出している「World Factbook」という刊行物には「日本人の99%が何らかの形で神道の概念を信じている」とまでされています。

 

実際に現在でも日本の至るところに神道の祭祀を行う神社があり、多くの方がお参りに行ったり、観光目的で訪れたりします。

ちなみにですが、神道は日本のアニメにも大きな影響を与えています。

 

例えば、「君の名は」は神道の考え方があってこそ出来上がった作品とも言えます。

しかし、神道の歴史には様々な紆余曲折がありました。

 

本記事では「国家神道とは一体なのか」、国家神道が日本にもたらした影響をわかりやすく解説していきます。

 

 

国家神道とは?

 

国家神道とはなんなのか、国家神道とは読んで字のごとく「国家によって統一された神道」を意味します。

国家神道の始まりは近代日本の創設、つまり明治政府によって作られました。

 

明治時代以前の日本、江戸時代までは武士政権でそれぞれの大名が藩を統治していました。

しかし「近代国家の設立」を目指していた明治政府は国民を統一をするため、天皇陛下を中心とした絶対的な思想を確立するのに神道が最も有効だと考えました。

 

現在の日本では「政治と宗教の分離」により国教は制定されていませんが、明治時代から終戦まで事実上神道が国教のような扱いということになっていました。

 

神仏分離

 

奈良時代から江戸時代まで1000年以上続いた「神仏融合」という文化がありました。

神仏融合とは、西暦552年に中国大陸から日本に仏教が伝来し、それまでの神道(神様)と新しく入ってきた仏教(仏様)を同質のものと考えたことを指します。

 

この神仏融合以来、日本各地にお寺が建立されることになります。

奈良の法隆寺などはその一例です。

 

つまりこれ以来神道と仏教は同等に扱われました。

しかしこの1000年以上にわたる神仏融合にによる弊害がありました。

 

それは「神道と仏教の区別がつかなくなった」ということでした。

明治以前はこの神仏融合により神道と仏教がごちゃまぜにまっていた状態でした。

 

それまで各地域によって神道の概念がバラバラであり、信仰の対象も仏様なのか神様なのか、神社に仏像が飾られていることも珍しくありませんでした。

これを改善するべく明治政府が行ったのが「神仏分離」です。

 

つまり神道と仏教を切り離そうという改革です。

 

教育勅語

 

明治政府設立後、神道が事実上の国教になり、神仏分離が進められ、次は教育制度の改革です。

「神道が事実上の国教となった」と書いていますが、大日本帝国憲法ではあくまで信教の自由を保証していました。

 

したがって、教育現場での宗教教育は禁止されていました。

しかし、「神道は宗教ではない」というのを口実に神道の考え方を国民に教育していきます。

 

「これはあくまで道徳教育だ」ということですね。

 

これにより、信教の自由が保証されているのにも関わらず神道崇拝が事実上国民の義務であるかのような教育が進められていきます。

 

教育勅語の要約

①父母に孝行をつくし(父母ニ孝ニ)

②兄弟姉妹仲よくし(兄弟ニ友ニ)

③夫婦互に睦び合い(夫婦相和シ)

④朋友互に信義を以って交わり(朋友相信シ)

⑤へりくだって気随気儘の振舞いをせず(恭儉己レヲ持シ)

⑥人々に対して慈愛を及すようにし(博愛衆ニ及ホシ)

⑦学問を修め業務を習って(學ヲ修メ業ヲ習ヒ)

⑧知識才能を養い(以テ智能ヲ啓發シ)

⑨善良有為の人物となり(德器ヲ成就シ)

⑩進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし(進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ)

⑪常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し(常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ)

⑫万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ(一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ)

 

この教育勅語の内容に関しては現在においても賛否両論です。

稲田朋美元防衛大臣も「教育勅語の核の部分は取り戻すべき」と答弁しているように、中には道徳教育の一環で必要と考える人もいます。

 

天皇陛下と神道

 

天皇陛下・皇室と神道は切っても切り離せない関係にあります。

神道においての最高位は天皇陛下です。

 

現在でも皇室行事、祭祀、儀式、国民の祝日などは神道に基づくものです。

 

上で解説している教育勅語からもわかるように、明治以降神道において天皇陛下が信仰の対象となりました。

神道において「八百万の神」と言われるように、「自然の至るところに神様が宿っている」という考え方がありますが、国家神道では極端に言うと天皇陛下が神様ということになります。

 

つまり日本国、皇室のために命を犠牲にすれば必ず報われるという考え方がありました。

第二次世界大戦に突入するとこの思想もどんどん過激になり、神道絶対主義が日本全体において強制され始めます。

 

神道の教育=道徳教育=日本人として持つべき思想

 

このようにして「国家全体において神道が徹底されたこと」を国家神道と言います。

 

戦後の神道

 

戦後アメリカ・GHQの指導により、国家神道は廃止になります。

同じく国教だった神道もなくなり、現在では信教の自由が認められています。

 

教育勅語も「個人の自由・人権を無視している」ということから教育現場から姿を消すことになりました。

現在では神道は宗教という扱いです。

 

神道において最も大切なものは「八百万の神」ということで、「至るところに神様が宿っている」という考え方です。

したがって、神道は誰かが教えるものではなくむしろ自分自身が「感じるもの」に近い気がします。

 

 

 

「国家神道はなんなのか」ということをまとめると、明治政府が近代国家の確立、国民の統一のために神道が利用されたものであり、統一された思想・天皇陛下への忠誠・絶対主義を高めるためのものでした。

第二次世界大戦などの歴史は結果論に過ぎませんが、この明治政府の流れや国家神道が日本に与えた影響は計り知れないものがありますね。

 

 

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