【日韓歴史認識問題】伊藤博文が韓国で最も嫌わている理由

【日韓歴史認識問題】伊藤博文が韓国で最も嫌わている理由

 

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僕「韓国で有名な日本の偉人と言えばだれ?」

韓国人「豊臣秀吉、西郷隆盛、福沢諭吉あたりが韓国では有名な日本の偉人だけど、どれも悪名の方が高いよ」

僕「そうなんだ。みんな韓国に関連してるよね」

韓国人「でもその中でも一番嫌わてるのは伊藤博文かな」

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韓国と日本は歴史的に切っても切り離せない関係にありますが、韓国では日本の歴史で私たちが韓国のことを学ぶ以上に彼らは日本について学んでいます。

特に日本の明治維新から日清戦争、日韓併合の歴史は韓国にとっては黒歴史でもあります。

 

上で出ている日本の偉人は全て韓国の歴史に関連しています。

西郷隆盛は征韓論を唱え、福沢諭吉は脱亜論、豊臣秀吉は16世紀の朝鮮出兵、どれも日本にとっては「偉人」でありますが、韓国にとっては「侵略者」または「悪者」ということになっています。

 

この歴史認識の違いは当然のことでもあり、そもそも議論する必要もないということが言えます。

しかし、本記事ではあえて「なぜ韓国で伊藤博文が最も嫌わてるのか」ということについて説明していきながら、日韓の歴史認識の違いを詳しく解説していきます。

 

日韓の歴史問題

 

ニュースやネットでも度々話題になりますが、日本と韓国は歴史において多くの問題を抱えています。

さらっと説明すると、慰安婦の問題や賠償金、謝罪要求、靖国神社などなど言い出したらキリがありませんが、日本と韓国は歴史の話になると本当に仲が悪いです。

 

僕も韓国人の友達が多くいますが、できるだけ歴史の話題には触れないように気をつけています。

以前に数回歴史について議論になったことがありますが、お互い同じ結論に至ることはほぼ不可能です。

 

というのも、違う国の違う文化を持っている者同士で歴史について議論するのはそもそも無意味ということが言えるかもしれませんね。

同じ歴史でも国が違えば全く違うストーリーになり、それをどちらかが押し付けようとしても結論にはたどり着けません。

 

しかし、現在国家間で問題になっていることがまさにこの「両方がそれぞれの歴史認識を押し付けている」という状態です。

 

伊藤博文とは?

 

伊藤博文という人物は日本国においての初代総理大臣です。

過去には1000円札の肖像画にもなっています。

 

日本の歴史の中で非常に重要な人物なので知らない人は少ないかと思います。

元々は山口県の出身でした。

 

あの有名な松下村塾に学び、幕末期には尊皇攘夷派として倒幕運動にも参加しました。

1863年には長州藩士として昇格し、「長州五傑」の一人としてイギリスにも留学しています。

 

つまり伊藤博文は明治維新の成功、日本の近代化には欠かせない人物であり、実際に日本の発展に大きく貢献した人物であります。

しかし、1909年中国・ハルビンで暗殺されてしまいます。

 

69歳で最期を迎えました。

 

伊藤博文と安重根

 

ハルビンにおいて伊藤博文は銃殺されるわけですが、殺害したのは「安重根(アン・ジュン・グァン)」と呼ばれる韓国出身の人物でした。

この暗殺事件に関してはまだまだ解明されていないことがたくさんありますが、安重根は犯行後「祖国(韓国)の為にやった」と述べました。

 

しかし果たしてこれが本当に「韓国のため」になったのでしょうか。

この暗殺から100年以上経った今私たちはこの歴史を振り返ることができます。

 

現在においても尚日本と韓国の関係が悪いのは、言うまでもなく日韓併合から朝鮮半島における日本統治の時代があるからに他なりません。

この日韓併合は皮肉なことに伊藤博文暗殺後に加速していき、強硬派によって主導権が握られる結果となりました。

 

暗殺が招いたもの

 

「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」

これは伊藤博文がハルビンで撃たれ絶命までの30分の間に自分を撃った相手が韓国人だと知らされた時に発した言葉だと言われています。

 

これはまさにこの後の韓国の行方を示唆している深い言葉でもあります。

併合前韓国には「統監府」というものが置かれ伊藤博文はそのトップに就任していました。

 

統監府のトップとして伊藤博文は生前朝鮮半島支配に尽力します。

実際に伊藤博文は韓国併合に関しては穏健派だったことで知られていて、彼の韓国支配の構想では「いずれ韓国を独立させるのが前提」でした。

 

これは「強引に併合などを行えば必ず韓国人から強い反発が生まれる」という当然と言えば当然の論点でした。

しかしこの主張も虚しく、この後強硬派によって韓国併合が閣議決定され伊藤博文はこれを機に統監府を辞任します。

 

この直後に暗殺事件が起きるわけです。

安重根は拘束後、裁判で「15の理由」としてなぜ犯行に及んだかを述べ、その中でいかに伊藤博文の韓国支配による理不尽さ、不利益を主張しました。

 

伊藤博文の政策が韓国人にとって理不尽なものだったのは確かに事実です。

しかし、この暗殺を機に(伊藤博文の存在によって)韓国併合に関して遠慮していた強硬派が主導権を握りこの後の日韓併合の政策・日本の韓国に対しての態度が大きく変わりました。

 

そして現在においてもその立場は変わっていません。

日本の総理大臣が韓国人によって暗殺されたわけですから当然と言えば当然ではありますね。

 

つまり日本にとって安重根は間違いなく「暗殺者」という認識です。

では韓国では安重根という人物はどのように教えられているのでしょうか。

 

テロリストか英雄か

 

韓国では安重根は「英雄」とされています。

首都であるソウルには安重根を称える「安重根義士記念館」というものまであるほどです。

 

その中で安重根は「抗日闘争」で日本と戦った英雄とされています。

韓国の中学校の歴史教科書内の記述では、「義兵将として国内外で抗日戦を展開していた安重根は、初代統監としてわが国侵略の先頭に立っていた伊籐博文がロシアの代表と会談するためにハルビンに到着したとき、彼を射殺して民族の独立の意志を明らかに示した」と説明されています。

 

出典:韓国の中学校歴史教科書 (世界の教科書シリーズ)

 

つまり、安重根という人物は日本では「テロリスト」という認識ですが、少し海を越えた韓国では「英雄」となっています。

 

実際のところ…

 

この認識の違いは安重根だけでなく、必然的に伊藤博文の評価も全く同じになります。

つまり日本では伊藤博文は日本国の「初代総理大臣」であり、日本の近代化に大きく貢献した人物ですが、韓国では「侵略の先頭に立っていた人物」となるわけですね。

 

冒頭にも書いてあるように伊藤博文は韓国で最も嫌われています。

 

伊藤博文=日帝の象徴

 

こんなレッテルまで貼られていますが、実際に韓国にとってそこまで「悪者」だったのでしょうか。

上で説明しているように伊藤博文はあくまで韓国の独立を目指した統治であって、日韓併合には反対していました。

 

しかし、これらの事実はないがしろにされているのが実際のところでもあります。

「安重根=英雄」というのが独り歩きしていて、「義士安重根が殺害した日本の総理大臣=悪者に違いないだろう」ということになっているのが現実でもあります。

 

伊藤博文の人物や実際の政策自体は問題でなく、暗殺者を英雄化するためのプロパガンダとして「伊藤博文=悪者」というように利用されているのが事実でもあります。

つまり安重根と伊藤博文、両者ともに韓国では「ナショナリズムの象徴」に過ぎません。

 

伊藤博文が韓国で最も嫌われている理由はこのような背景からです。

 

 

歴史から学べることはたくさん

 

歴史から学べることはたくさんあります。

しかし、それと同時に歴史は非常に危険なものでもあります。

 

しばしば国や政党によって偏った歴史を教えられ、それが争いの原因にもなりかねません。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われるように歴史は勝者によって作られていきます。

 

明治維新によって江戸幕府が倒れた時に明治政府が真っ先に行ったことは「徳川将軍家&武士政権」の徹底否定でした。

それと同時に「国家神道」をはじめとする「ナショナリズム教育」が始まり、最終的にアメリカとの戦争を途中で止められなくなったわけですが、いつの時代も違う視点から物事を見るというのは大切なことです。

 

当ブログでは、歴史や政治に関しての記事はできる限り中立的な立場を維持して書いていますが、これは「どの見方も正しいも間違いもない」ということをモットーとしてやっていることから成り立っています。

最初に書いたように、どの歴史認識も正しいとか間違いとかはないので、「そもそも議論するだけ無駄」というのが言えます。

 

そのへんも含め、日本と韓国の関係は非常に難しいものだということが言えますね。

 

 

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