ヒップホップとは1970年代のアメリカで生まれた音楽やダンスのジャンルの一つで、現在では世界中で人気の音楽の一つです。
本記事ではそんなヒップホップの起源から学べるアメリカの文化を詳しくご紹介しています。
「ヒップホップの起源ってなに?」
こんな疑問にお答えします。
ヒップホップとは?
「ヒップホップ」という言葉を聞いて「ラップミュージック」を真っ先に思い浮かべる人も多いかと思います。
しかしヒップホップには「4大要素」と言われるものがあり、ラップだけでなく、ダンス・グラフィティ・DJプレイを含むこれらも「ヒップホップ」と呼ばれます。
ラップミュージックの一番の特徴は「韻を踏む」ところにあります。
ライム(韻)に乗せてリズミカルに言葉を発することにより創り出す音楽です。
ラップをすることを英語では「ライミング(Rhyming)」とも言い、メロディすらも必要としません。
ラップは日本人が5・7・5などの俳句で感じる「リズミカルでなんかいいな」という感覚に似ています。
しかし、ラップと俳句(Poem)の決定的な違いは、自由度、使う単語自体にあります。
では次にヒップホップの起源を見ていきましょう。
ヒップホップの起源
ヒップホップミュージックをよく聞く人はわかるかもしれませんが、歌詞の中で使われている言葉は汚い言葉がほとんどです。
ヒップホップの起源は1970年代のニューヨーク・ブロンクスから始まります。
ブロンクスとはニューヨークの中心地から地下鉄で30分ほど行ったところで、昔から「治安が悪い」ということで有名な地区です。
もともとはそこに住む下流社会の人たち(主に有色人種)が「ブロックパーティ」という形で、ラップやブレイクダンスを披露したことから始まったと言われています。
現在でも「観光客は絶対に近寄ってはいけない」と言われているニューヨークの郊外ですが、当時はもっとひどいものでした。
「紛争地帯に行くようなもの」
このように言われるほどブロンクスやクイーンズといった大都市ニューヨークの郊外は危険でした。
これは大げさではなく、実際に当時のサウスブロンクスの映像や写真を見てもがれきの山です。
こちらの映像を見てもわかるようにこれがニューヨーク・ブロンクスの当時の実態でした。
これはアメリカの政治的な問題でもありますが、最大の原因は人種問題でもあります。
ニューヨークでもマンハッタンのような大都市にはお金持ちの白人が住み、郊外には貧困層である有色人種の方々が住みつく、という具合にはっきりと別れてしまいました。
税収などの問題もあり、貧困層の方々が住む地域では治安維持にとても手が回らない、結果的にニューヨークの都市部と郊外で貧困線が出来上がってしまいました。
そんな治安の最悪な地区で生まれたのが「ラップバトル」や「ダンスバトル」でした。
今でもニューヨークに行くと、街中でラップバトルやダンスバトルなどをしている人たちを見ることができますが、「銃で殺し合いをする代わりにラップで喧嘩をする」というのがヒップホップの原点でもあります。
貧困地帯に住みながら日々ラップに明け暮れていた下流社会の若者は、「いつか俺もマンハッタンに行って有名になるんだ」と夢を見ました。
実際に現在では世界的に有名な「Jay-Z」もニューヨーク・ブルックリン地区出身で、幼い頃は治安の悪い地域で片親のもとで生活保護を受けながら団地暮らしをしていたという壮絶な過去があります。
「俺たちが夢を掴むには勉強よりもこれなんだ」ということで、ブルックリンの黒人たちは仲間と共に日々ダンス・グラフィティ・ラップなどに勤しみました。
ブルックリンも今でこそ発展して「おしゃれな街」、「ニューヨークの観光地」という印象ですが、昔はそこら中グラフティで埋め尽くされ、まさに「ニューヨークの治安の悪さを象徴する街」でした。
つまり、ブルックリン地域でサブカルチャーが発展したのもこういった背景からです。
社会への不満から政治的な主張へ
アメリカ=表現の自由
アメリカにはこんなイメージがありますが、それを象徴するのがヒップホップでもあります。
上でも書いてあるように、もともとは貧困層の若者が自分たち同士で不満を言い合ったり、社会の理不尽を訴えるためのものがラップになったわけですが、それが次第に大きくなっていき、政治的な主張をラップに込める傾向にもなってきました。
つまり社会的に影響力のない人々が、政治的な主張を社会に訴えるためのツールとなりました。
代表的なのが、「KRS-ONE」や「Public Enemy」など80年代のヒップホップです。
当時の政治的なメッセージを持ったヒップホップは、ほとんどがアメリカ大統領ロナルド・レーガンの政策絡みのものが多いです。
今ではSNSなどの普及などによりイメージしづらいかもしれませんが、当時は新聞、ラジオ、雑誌などほとんどすべての情報伝達メディアは白人によるものでした。
現在では警察官が黒人に対して理不尽に接したり、銃殺をすればSNSで拡散されますが、当時はニュースにもなりません。
そんな時に情報発信のツールとして使われたのがヒップホップです。
筆者も当ブログを通じてこのように情報を発信することができていますが、今では誰もが「情報の発信者」になることができます。
これは数十年前から考えれば「命がけだった」ということですね。
ヒップホップの世界への影響
ヒップホップは海を渡り現在では世界で有名です。
80年代になると、ニューヨークからロサンゼルス、シカゴなどアメリカの都市、さらにはロンドンやパリなどヨーロッパの都市にヒップホップが伝わり、すぐに東京にも伝わりました。
日本語ヒップホップの第一人者は「いとうせいこう」と言われており、彼の「Tokyo Blonxx」という曲がジャパニーズヒップホップの最初と言われています。
こちらがいとうせいこうの「Tokyo Blonxx」です⇩
その後に「スチャダラパー」が出て、当時ヒップホップが全く浸透していなかった日本の音楽業界に革新をもたらしました。
90年代中盤になると「キングギドラ」など、政治的、過激的なメッセージを放つグループも出てきて、東京のヒップホップシーンを確実なものにしました。
90年代からヒップホップが定着していった日本は比較的早く、他のアジアの国々ではもう少しあとになってから若者を中心にヒップホップが受け入れられるようになりました。
現在のK-POPを見てもわかるように、韓国の音楽シーンにおいてアメリカのヒップホップミュージックの影響力はものすごいものです。
タイでは軍事政権を批判する内容のラップが大ヒットとなりました。
一方中国では現在もヒップホップのメディアの露出は規制されているのが現実でもあります。
これは中国は共産党独裁国家なので、政治批判やドラッグなどの悪影響を社会にもたらす恐れがあるとして、国を挙げてヒップホップを規制しています。
このようにニューヨーク発のヒップホップ文化はアメリカだけにとどまらず、世界に大きな影響を与え続けています。
日本のヒップホップ文化
「日本語のラップはお経のようだ」
「日本文化の中にヒップホップはなじまない」
長年に渡り日本ではヒップホップに対してこのような意見があります。
確かに日本はアメリカに比べ人種的、社会的な格差はなく、比較的平和な社会です。
さらに日本語は英語とはそもそも違い、日本語の音は英語に比べ限られているため韻を踏むのが非常に難しいです。
無理をして韻を踏もうとすれば不自然になってしまうのが日本語ラップの欠点でもあります。
しかし、最近では日本語のヒップホップシーンもアンダーグラウンドから大衆向けの音楽になってきています。
それだけヒップホップの音楽文化が日本でも定着したとも言えます。
これからも日本でのヒップホップ、日本人のラッパーの活躍を見ていきたいですね。
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