世界最大都市・東京を作ったのは誰か、東京の歴史を解説します

世界最大都市・東京を作ったのは誰か、東京の歴史を解説します

 

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アメリカ人「東京が世界で最もハイテクな都市に選ばれたらしいよ」

僕「そうなんだ」

アメリカ人「東京が発展したのって第二次世界大戦の後?」

僕「いや東京は17世紀から世界最大都市の一つだよ」

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2019年1月の「ビジネスインサイダー」の記事によれば東京は「世界で最もハイテクな都市」とされています。

また、人工においても東京は世界最大都市と知られていますが、この大都市東京の基盤を作ったのは誰なのでしょうか。

 

本記事では東京が世界最大の都市と言われる理由を歴史的背景から詳しく説明しています。

 

世界から見た東京

 

日本の首都・東京は国内最大規模を誇り、大学に通う学生、仕事に就く人などなど、上京をする人が絶えません。

最近では東京の一極集中が続いており、地方の過疎化が社会問題になっているほどですが、上京する人だけでなく、外国人も含めると今後さらに人工は増え続けるとも言われています。

 

日本国内の人工は減っているのに皮肉なものですが、東京は世界規模で見ても最大都市の一つです。

 

人口統計の方法にもよりますが、「世界で最も繁栄している都市ランキング」では東京は何年にも渡り1位を誇っています。

また上でも書いてあるように「世界で最もハイテクな都市」に選ばれています。

 

最も安全な都市 ⇨ 1位

学生にとって最良な都市 ⇨ 2位

産業投資に向いている都市 ⇨ 3位

インフラが整っている都市 ⇨ 5位

住みやすい都市 ⇨ 7位

 

参考:

http://www.citymayors.com/statistics/urban_2020_1.html

https://www.thisisinsider.com/worlds-safest-cities-2017-11#1-tokyo-japan-30

https://www.bbc.com/news/business-44039666

https://www.cnn.com/travel/article/worlds-most-liveable-cities-2018/index.html

https://www.weforum.org/agenda/2017/10/worlds-best-run-cities-jll/

 

もちろんですが、統計の仕方によってこれらのランキングは変動しますが、世界から見た東京はまぎれもなく「世界で最も繁栄している都市の一つ」と言えます。

 

ではさっそく東京がここまで繁栄した理由について、街づくりの原点を歴史を振り返りながら見ていきましょう。

 

 

江戸時代

 

明治維新前の東京は「江戸」と呼ばれていました。

つまり「江戸時代」とは、江戸に幕府が置かれていた時代ということで、現在の皇居(江戸城)が徳川幕府のお城でした。

 

当時の日本は武士政権でしたが、あくまで天皇陛下の住まれる京都が日本の首都ということだったのですが、明治維新において天皇陛下&宮廷が江戸城に移り日本の首都を江戸に変えました。(遷都)

その時に「江戸」から、「東京」という名前に変更されました。

 

「東京」という名前は「東の都」という意味から来ています。

「西の都」は旧首都の「京都」ということですね。

 

「江戸は日本の首都・東京になってから繁栄した」と言えばそうではありません。

徳川幕府が政権を握っていた当時から国内最大の規模を誇っていました。

 

では徳川幕府前の江戸はどうだったのかというと、ほとんどの地が湿地帯で林や山に囲まれた原野が広がり、「とても人が住める場所ではなかった」ということが言われています。

つまり徳川家康が江戸に入城してから江戸の様相は一変しました。

 

現在の東京の繁栄は徳川家康・徳川幕府の街づくりの恩恵があってからこそです。

 

徳川家康、江戸に移る

 

1590年、北条氏の本拠地であった小田原城が落城し関東が豊臣秀吉の支配下になると、秀吉はすぐに徳川家康に対して関東に移り住むことを命じます。

この時、関東のどこに移るのかということで家康の中で3つの選択肢がありました。

 

古くから繁栄している鎌倉、北条氏の本拠地であった小田原、または江戸。

最終的に家康は江戸を選びました。

 

前述したように、江戸はとても人が住める場所ではなかったということなのになぜ家康は江戸の地を選んだのかということですが、これは諸説あります。

 

秀吉が命じたから、地形が絶好の場所だったから、などなど様々な理由があります。

しかし、何はともあれこれが東京の始まりです。

 

江戸に入城して家康はまず最初に何をしたかというと、平川の流れを整備し、神田山を切り崩しました。

神田山を切り崩した土で現在の皇居あたりまでかかっていた海を埋め立てました。

 

神田川の上流を飲料用の上水として整備することによって、江戸の街の水道を飲めるようにしました。

現在でも多くの国で水道水は飲めませんが、江戸ではこのときから井戸の水は飲むことができました。

 

これは家康がこの時に玉川上水と神田上水を徹底整備したことによる恩恵です。

 

その後に家康は江戸城を拡張します。

江戸城を守るための本丸、二の丸、三の丸、西の丸など、さらには城の外郭となる外濠までを造ります。

 

これは敵から城を守るための戦略的要素が第一ですが、経済的な意味でもかなり役に立ちました。

つまり、城に物資を運搬する際に船で運べる水上の方が陸よりも便利だったことから江戸の濠は商業的な意味での礎を築きました。

 

現在の中央線、山手線、武蔵野線など、皇居(江戸城)を中心に円を描いていますが、これはこの時に作られた外濠が基礎となっています。

また環状線においても同じで、皇居(江戸城)を中心に円を描いています。

 

出典:東京には、なぜ環状線がたくさんある?

 

このような道路・路線の形をしていますが、これは江戸時代に徹底的に整備されたインフラがあったからこそです。

また、江戸城の工事を長期間に渡り行うことによって労働者を江戸にたくさん呼び込みました。

 

江戸に来た労働者は江戸で恋人を作り移り住みます。

結果的に江戸の人工は数十年で倍増しました。

 

幕末の頃になると江戸の人工は約50万人、出稼ぎ人や寺社、武家なども含めると100万人を越していたとも言われています。

当時のロンドンの人工は86万人、パリは54万人という推計なので、当時から江戸は世界最大の都市であったことがわかります。

 

さらに260年続いた徳川幕府ですが、その間江戸は戦争や争いもなく平和な時代が続きます。

人工だけでなく、文化や教育などの水準も一気に上がったのがこの時代でした。

 

19世紀(幕末時)の日本の識字率は少なくとも75%〜80%とも言われていますが、当時の大工業国イギリスでも20%ほどに過ぎなかったというデータに比べると日本の教育水準は圧倒的に高かったことがわかります。

これは寺子屋という庶民のための初等教育を受けられるシステムが発達したからだと言われています。

 

 

江戸から東京へ

 

江戸が戦火の危機にさらされる一番最初の出来事は明治維新による戊辰戦争でした。

戊辰戦争とは武士政権を終わらせようという新政府軍と、幕府軍との内戦です。

 

15代将軍の徳川慶喜は大政奉還(天皇に政権を返上すること)を決意します。

この時の大政奉還の理由としては、「内乱をとにかく避けたい」という考えがあったためだというのがあります。

 

坂本龍馬が大政奉還を発案し徳川慶喜を動かしたとも言われています。

しかし大政奉還の案は虚しくも幕府側の保守勢力や徳川家の影響力を一掃したいと思う新政府軍の思惑から実現せず戦争に至りました。

 

結局新政府軍は江戸にまで進軍し総攻撃を決議します。

江戸で戦争が起これば多大な犠牲が出ると危惧した旧幕府側が江戸城の明け渡しを決意します。(江戸無血開城)

 

これにより江戸は大規模な戦乱を奇跡的にまぬがれました。

この数ヶ月後に江戸は日本の首都となり、東京という名前に変わります。

 

明治維新により文明開化した東京はさらなる発展を遂げます。

 

 

繁栄から焼け野原に

 

明治維新にて文明開化した日本は東京に経済・産業・文化・芸術・教育などなどあらゆる分野の中心地を東京に集めました。

1923年に起こった関東大震災により多大な被害を受けますが、1940年にはニューヨーク、ロンドンと並び世界最大の都市になります。

 

しかし、第二次世界大戦中の東京大空襲により東京は歴史上類を見ないほどの戦火に見舞われました。

木造住宅が多かった東京の下町は焼夷弾により、焼き払われてしまいます。

 

アメリカ軍は戦争から数百年前に起きた江戸の大火や関東大震災などの歴史を研究し、徹底的に攻撃しました。

3月10日の一夜だけで10万人以上の死者数が出ました。

 

戦争により東京は焼け野原になりました。

 

 

戦後の復興

 

戦争が終結し焼け野原となった東京の市街地ですが、日本政府は「戦災復興都市計画」という事業を始めます。

この復興を成功させたのは再度インフラを徹底して整備したことから見ることができます。

 

1930年に大恐慌に襲われたアメリカは「ニューディール政策」というのを掲げ、政府が一時的に市場経済に関与し、国内の雇用を増やしました。

戦後日本はこのニューディール政策と全く同じことをやります。

 

失業者で溢れてた戦後間もない頃の日本は政府が一時的に市場経済を管理しインフラ事業を徹底して行いました。

政府の指導により、道路や学校、建築物などを大量に作ることによりインフラを整えると同時に雇用も増やしました。

 

そして必死に働きました。

戦後20年も経たない1964年に東京でオリンピックが開催され、見事に東京の復興を世界に見せつけました。

 

これほどの復興は人類史上類を見ません。

この世代の方々がいたからこそ今の東京があると言っても過言ではありませんね。

 

 

 

現在の東京は一極集中と言われ、災害時の対策など様々な問題もあります。

しかし、これほどの激動な歴史を経てきた都市はなかなかないのではないでしょうか。

 

東京都のGDPだけでも世界16位と言われていて、これはインドネシア、オランダ、トルコなどの国全体のGDPよりも高いです。

これほどの大都市東京があるのは先人のおかげでもありますね。

 

 

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